1979年のイラン・イスラム革命後の歴代大統領を振り返ると、大統領には革命防衛隊と仲の悪い人ばかりが選ばれてきた。想像にすぎないが、法学者統治の最高指導者の座は武力勢力と政治勢力の距離が近くなりすぎないことで守られてきたといえるのではないだろうか。
この構図が当てはまらない唯一の大統領が、今回のヘリ墜落事故で亡くなったライシ前大統領であった。
2021年の大統領選挙で護憲評議会はライシ氏が当選するよう、資格審査でライバル立候補らを不適格にして排除してまで彼を当選させた。ライシ氏の死は事故死ではなく、暗殺だったとうわさされるのにはそのような理由もあるのだ。
「投票率」というバロメーター
前述したマハサ・アミニさんのスカーフ問題を機に起きた大規模抗議デモは、イランを脅かした。スカーフの着用やインターネットを厳しく制限される息苦しさ、外国人武装勢力を支援するためにお金を使い、国民は蔑ろにされているうえ、経済制裁の影響で国民の暮らしは追いつめられている。
ガソリンの値上げなど、何かをきっかけに抗議デモが起きるたびに多くの人が逮捕され、処刑され、弾圧されてきた。そのため反米強硬派勢力に対する国民の反感は「選挙では投票に行かない」という形で表現されるようになった。
ホメイニ師のイラン・イスラム革命で王制を倒して誕生した法学者統治は、革命直後は初めの頃こそ高い支持率を誇っていたが、時とともに「独裁的な警察国家」だと国際社会に非難されるようになった。
そのため、イラン体制が独裁君主主義ではなく、人々による人々のための望まれた体制であることを証明する必要が生じてきた。正当性を証明する物差しが大統領選挙の投票率になってしまっている。
そのため半数以上の国民が参加しないで誕生した政権は、民主的でなく正当性が証明できない。「誰が当選するか」ということの前により重要なのが、「公正に選ばれた大統領であるかどうか」に大統領選挙が位置づけられているのではないか。
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