「三公七民に地税なし」羨ましすぎる江戸の税事情 農民は「隠し田」による脱税も黙認されていた

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町民は、農民よりもさらに生活が楽だったと見られます。特に江戸の町民は非常に恵まれていました。

まず、江戸の町民には税金らしい税金は課せられていませんでした。中世以降、町民は「地税」という税を納めるのが普通でした。これは土地税のようなもので、江戸時代においても、江戸以外の地域では普通に徴収されていました。しかし、江戸の町民だけは地税を払っていなかったのです。

江戸の町民たちが幕府を大好きだった理由

なぜ江戸の町人だけが税金を免れていたのかというと、天保13(1842)年に勘定奉行の岡本成は、次のように述べています。

「町民が地税を納めるのは当然のことながら、江戸の場合は、徳川家が江戸に入ったときに、寛大さを示すために地税を取らなかった。そのため、江戸の町民は地税を納めなくていいものと思い込み、これまで地税を徴収できなかった」

なんともお人好しというか、呑気な話ではあります。おそらく、家康が秀吉による国替えで江戸に入ったとき、江戸に人を呼び寄せるために、最初は地税を取らなかったのでしょう。それがそのまま、町民の「既得権益」となってしまったのです。この発言があった天保13(1842)年というと、江戸時代の最後期です。つまりは、江戸時代を通じて、江戸の町人たちは地税を払わずに済んだのです。

そのため、江戸の町民たちは、江戸幕府が大好きでした。戊辰戦争で官軍が江戸を占領したとき、江戸の町民たちは官軍から求められた御用金の拠出にはなかなか応じませんでした。江戸の町民が、江戸幕府に対して恩義を感じていたからなのです。

このように、かなり恵まれた境遇にあった江戸時代の町人たちでしたが、そうかといって、商人への過度な富の集積も起きませんでした。

当然ながら、長い江戸時代の間には大商人も生まれ、大名の中には商人に頭が上がらない者が出てきていました。しかし、中世や近世のヨーロッパ諸国のように、国王が国土を担保に金を借りたり、商人や銀行家に振り回されたりというような事態は生じなかったのです。これは、あくまで幕府が政治経済を主導し、管理していたからだと考えられます。

江戸時代はかなり自由な商業活動が許されており、富の蓄積も認められていました。ただ、あまりに強欲な商売をしている商人や、贅が過ぎるような商人は財産を没収されたり取り潰しに遭うこともあったのです。

たとえば、大阪で米の先物取引を始めたとされる豪商の淀屋は、5代目のときに「豪奢を極めた」ということで咎を受け、全財産を没収されています。

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