早くも孤立する震災仮設住宅の高齢者、テレビを見て寝るだけの日々が続く
東京電力福島第一原子力発電所事故で避難生活を余儀なくされている青木正一さん(下写真、79)は、7月30日から福島県いわき市内の「高久第十応急仮設住宅」での生活を始めた。その青木さんがぽつりと語る。「ここではやることがない」。
原発事故前に暮らしていた楢葉町の自宅では庭仕事が日課だったが、「今はテレビを見て寝るだけの生活」(青木さん)。自家用車は息子(51)が使用しているため、外出もままならない。近所にも顔見知りの人はほとんどなく、集会所にも入ったことはないという。
同じく楢葉町から避難してきた橋本英次郎さん(79)、歌子さん(75)夫婦も同じような生活を送る。
「外を眺めたりテレビを見たりして一日ぼんやりしているだけ」(歌子さん)。
英次郎さんも「やることがなくて頭がおかしくなる」といらだちを隠さない。「県や町からは、立ち入り禁止の自宅にいつ帰れるのか、何の説明もない。自宅近辺の放射線量がどうなっているのか、いつ除染が始まるのか、まったく情報がない」(英次郎さん)。
■楢葉町住民が住むいわき市内の仮設住宅
高齢者の衰弱や孤独死が相次いだ阪神・淡路大震災の教訓から、国は仮設住宅が所在する地区への介護施設の誘致などの支援策を打ち出している。ただ、現実は心もとない。多くの地域では仮設住宅を多く作ることが優先され、公共スペースや介護・福祉などの拠点作りは後回しになっている。多くの仮設住宅群では、せいぜい小さな集会所が設置されている程度で、それすらも利用したことのない住民が少なくない。