インド仏教を率いる日本人僧侶の破天荒人生 1億人の仏教徒は、なぜ彼を慕うのか
佐々井氏は2009年、44年ぶりに日本の土を踏んだ。以降、何度か日本に戻ってきているが、そのたびに感じることがあるという。
「日本人は、生きる力が弱くなっているね。政治家もサラリーマンみたいな顔をしていて弱々しいし、これから日本をどう背負っていくのかなと思います。若い人も、自分が何をしたらいいのかわからないし、生きる目的を持っていない。しっかりと大地に立って、汗と涙を流して働く。そういう、ど根性と使命を持った人間がいないんだ」
どんなことがあってもやり抜く
佐々井氏は、自ら考案した「必生(ひっしょう)」という言葉を唱えている。その意味は「天地自然から与えられた命を必ず生き通す、どんなことがあってもやり抜く、負けてもやり抜く、最後までやり抜くぞということ」。異国の地で、「必生」の精神で身体を張って生きてきた佐々井氏にとって、現代の日本は生ぬるく、つかみどころなく見えるだろう。
それでは、佐々井氏のように「使命」を得るためにはどうしたら良いのだろうか?
「私は血を売ったり、牢獄に入ったり、いろいろな経験をしてきた。そういう波をくぐり抜けてきたからこそ、使命を受けたんだ。いま思えば、龍樹はあらゆる角度から私に試練を与えていたのだと思う。それでも私は挫折しない、へこたれないから、どんなことをしても後ろに引かんやつだ、よく頑張ったということで満月の夜に龍樹が現れたわけだ。人それぞれに使命がある。使命を得るためには自分の与えられた仕事を一生懸命、真心を込めてやらなきゃいけない。金儲けでやったりしたらダメだ。そして、不正義と戦い、道をまっすぐ進む。それによって使命感が湧く」
佐々井氏は、自身の著書で「悟りなんてありゃしない」「瞑想に浸って現実から目を閉ざすのではなく、行動を」と説いている。閉ざされた空間で瞑想していても、悟りを得ることも、使命を全うすることはできない。
だから今も、ナグプールにある寺の簡素な部屋に住み、信者が持ってくる素朴な食事を食べ、大勢の人たちの相談に乗り、闘争の最前線に立ちながら日々を過ごしている。
(写真:市川勝弘)
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