インド仏教を率いる日本人僧侶の破天荒人生 1億人の仏教徒は、なぜ彼を慕うのか
その後の活躍は前述した通りだが、はじめからインド人の心をつかめたわけではない。読経しながら町を歩き、子どもにも、老人にも時間を惜しまず説法して、少しずつ理解を得た。さらに、自分の存在を世に知らしめ、覚悟を示すために、命も懸けた。1968年に8日間、70年に15日間の断食断水を実行したのである。文字通り飲まず食わずの荒行で、死の危険性もある。佐々井氏はギリギリまで憔悴しながらも完遂したが、命の限界に挑むことにどんな意味があったのだろうか?
「私は、龍樹に言われてナグプールに行ったんだ。私がただの坊主であれば、龍樹に見限られる可能性もあるけども、本当に龍樹に使命を与えられたのであれば必ず守ってくれる、だからこそ、限界を試してやろうと思ったんです。断食断水が終わった時には、やった、やはり龍樹が守ってくれたと思ったよ。医者からは死臭がすると言われたけどね」
この極限の荒行は世間の耳目を引き、佐々井氏は民衆の支持を集めた。
インドにおける佐々井氏の影響力がよくわかる事件がある。佐々井氏は長らくビザを更新せずにインドに滞在していたため、1987年に逮捕されてしまった。このままでは日本に強制送還され、二度とインドに戻れないという危機に立ち上がったのが、ナグプールの民衆だ。佐々井氏へのインド国籍授与を訴える署名を1カ月で60万人分も集め、デリーの首相官邸に提出。その結果、当時のラジヴ・ガンディー首相は佐々井氏に「アーリア・ナーガールジュナ(聖龍樹)」というインド名を与え、国籍を付与したのである。
3度の暗殺未遂にもひるまない理由
民衆の支えで窮地を救われた佐々井氏は、より一層、活動を活発化させていった。1992年には、ブッダガヤにある仏教最大の聖地でありながら、今もヒンズー教徒の支配下にある大菩薩寺を仏教徒の手に取り戻すために、信徒を組織して5000キロメートルを練り歩く抗議の行進を実施。佐々井氏が始めた大菩薩寺の奪還闘争は、今も続けられている。
注目される存在になれば、敵も増える。ヒンズー教の支配者層にとって厄介な存在である佐々井氏はインドで3度、暗殺の危機に直面している。なぜ、殺されそうになっても怯まないのですか?と尋ねると、それまでにこやかだった佐々井氏は語気を強めた。
「それはやっぱり使命があるから。殺されるのは怖いことだが、使命があれば立ち向かえる。今でも人民党(現在の政権与党・右派)はアンベードガルの功績を蹴落とそうとしているが、黙っちゃいられない。右の頬を殴られたら左の頬を出すというものじゃないんだ。もともと不可触民といわれていた人たちは、アンベードガルが戦って、戦って、少しずつ地位を回復してきた。仏教には不殺生戒があるけども、戦わなければ、仏教徒社会がなくなって、もとの不可触民に戻されてしまう恐れがある。仏教徒が戦わなければ、人々は平等にならない。だから平等になるまで戦うんだ」
佐々井氏にとっての「使命」とは、必ず果たすべきもの。そのために、身を賭す覚悟で何十年間も戦いに挑んでいるのだ。
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