突如閉店「メルシー」店主に聞いた本当の"真相" タモリも愛した早稲田の老舗ラーメン店に一体何が

✎ 1〜 ✎ 63 ✎ 64 ✎ 65 ✎ 66
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

小林さんに「メルシー」の歴史を振り返ってもらった。

「『メルシー』はもともと喫茶店でした。その後、父が進駐軍に勤めていた時に学んできたハンバーガーを出してみたものの全く売れず、別のメニューを模索し始めたんです。

親戚に中華をやっている人がいて、そこで学び、ラーメンを出すようになりました。1970年に今の場所に移転しましたが、その前はカツ丼やかき氷までありました」(小林さん)

メルシー
壁のメニュー表(筆者撮影)

移転後はメニューを絞ったが、喫茶メニューのいくつかは残して現在の形になった。一時期はコーヒーも出していた頃もあったという。

筆者は1993年に早稲田実業(当時は早稲田鶴巻町、現在は国分寺市)に入学し、当時から「メルシー」に通っていた。当時ラーメンは350円だった。

メルシー
チャーハンには錦糸卵がのるのが特徴(筆者撮影)

「早実があった頃は学生さんも多く繁盛していましたが、早実が移転した頃から、早稲田には新しいラーメン屋さんが増えていき、学生の客足が減っていきました。

「できれば復活して1年でも長くやりたい」

その頃からパートさんを1人減らして続けてきました。

弟子入りしたいという人も2、3人来ましたが、当時は人も足りていたこともあり断っていたんです」(小林さん)

メルシー
(筆者撮影)

そのまま弟子や後継者のいないまま「メルシー」は今日まで営業を続けてきた。周りの町中華が次々と閉店する中、「メルシー」は二代目が継いでまだまだ安泰かと思っていたが、現実はそうではなかった。

「後継者については考えたことはありません。自分の代で終わりかなとはぼんやり考えていました。

年金だけでは生活できないので、できれば復活して1年でも長くやりたい気持ちはあります。営業時間を短くするとか、休業日を増やすなどして何とか続けられないかは考えていきたいです」(小林さん)

次ページ「休業と閉店ではこんなに違うものか」
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事