転職して3年目にはボーナスでポルシェを買えるほど、裕福になった赤井さん。奨学金の返済もしばらくは続いたが、7年が経つ頃には完済。
42歳にして20年間の奨学金返済のしがらみから抜け出せたはずだが、人生は思い通りにはうまくいかない。
「ようやく、裕福になれたと思ったら、研究所が閉鎖されて、職員が全員クビになってしまいました。さすが、外資ですね……。慌てて部下たちの次の職場を確保したのち、僕も国内大手の製薬会社に雇ってもらえました。そこから、11年勤務していたのですが、またリストラ騒ぎが起きてしまいます。そのとき、僕は部長だったのですが、リストラ候補の社員たちと面談を行う必要があり、それがつらくて……。
言っても国内大手の製薬会社のため、給料は外資と比べれば高くはないのですが、安定はしているため、常々部下たちには『そこは目をつぶってくれよ』と言っていました。しかし、それが崩れてしまったため、もはや合わせる顔もなく……。心が折れてしまい、リストラする側の私が会社を辞めたのでした」
50代にして職を失ってしまうのも、かなりハードな事態だが、それでもこれまでの実績がある。冒頭で紹介したように、赤井さんは56歳でサラリーマン生活を終え、特任教授にジョブチェンジを果たすことができた。
「会社を辞める前に上司から『とある国立大学で特任教授の公募があるけど受けてみたら?』と紹介されて、履歴書を送って面接を受けたところ、今の職場にたどり着きました」
改めて説明すると、特任教授とは大学に一定期間の任期つきで雇用された教員のことを指す。専門性の高い分野で実務家として働いてきた者が、大学教員へと招聘された際にこう呼ばれる。
「大学の教員は公募のため、インターネットに採用情報が掲載されています。常任の教授職の場合は、教授会の投票で採用が決まりますが、特任教授はトップの学部長や大学院研究科長、もしくは病院長の判断ですんなりと決まることもあるのです」
経歴が生かせるセカンドキャリア
こうして、現在は関西の国立大学で「プロジェクトマネージャー」として、週に1回の講義と研究者と医者たちの研究成果を、薬や医療機器にするための支援を仕事にしている。赤井さんのこれまでの経歴が、十分に生かせるようなセカンドキャリアだろう。
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