「奨学金500万円」それでも母が大学進学させた結果 「うちは中流よりは下」と思ってた子どものその後

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就職から半年後。4年間で借りた500万円近くの奨学金を20年かけて返済する生活が始まる。

「県の奨学金の返済は社会人になって1年後に始まりました。市の寡婦奨学金は母が返済していたため、具体的な額はわかりませんが、毎月2つの奨学金を1万2000円返していました。そんなに、額は大きくないですが、ある年にお歳暮の時期に社販で購入したところ、それが給料からの天引きだったため、手取りが2万4000円とかになってしまったことがありました。

当時は会社の寮に住んでいたため、平日は食事に困ることはありませんでしたが、休日は寮で食事が出ないので、外食せざるをえなく、しかも現金がないのでクレジットカードで支払いが可能なファミリーレストランに行くことしかできませんでした」

まるで、イマドキの若者のような生活だが、赤井さんが社会人としてバリバリ働いていた当時は、今ほどクレカが使える店も少なかったため、苦労しただろう(おまけに、研究所があるのは田舎だ)。

それでも、社会人と返済生活を続けた赤井さん。その間に結婚もして、子どもも2人生まれたが、12年目に別の製薬会社に転職する。

「時代的にバブルが弾けてリストラが始まったのです。当初は研究所から営業に回されるような社員がリストラの対象だったため、『しょうがないかな』と思っていました。しかし、次第に入社2年目の社員までも対象になっていたため、『これはいかんな』と思い、会社を離れることにしたのです」

2年目からは収入がうなぎのぼり

外資系の大手製薬会社に転職した赤井さん。科学者としてさまざまな薬をネズミやサルに投与していたそうだ。

まるで、絵に描いたような「サイエンティスト(科学者)」だが、給料は据え置きだったという。

「転職して1年目は給料が上がるどころか、下がってしまい、妻に心配されました。でも、2年目からは本当にうなぎのぼりで上がっていきました。というのも、月々の給与は変わらないのですが、年に3回のボーナスが査定によって、20カ月分もらえることもあるんです。面白いですよね。

もちろん、その逆もしかりでボーナス月なのにまったく支払われない人もいました。だから、人間関係ギスギスしていましたが、それに耐えられる人にとってはいい職場だと思います」

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