なぜ日本はアメリカとこんなにも違うのだろうか 日銀会合とFOMC後の会見でわかる社会の違い

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金融政策の領域以外でもあらゆるところで、この現象がみられる。例えば、原子力発電の議論をタブー視、封印したのが一例だ。その結果、円安、資源高で日本は貧しくなったのだ。いまさら思い知っても遅いのだが、いまでも、この議論をすると炎上するだろう。原発再稼働よりも貧しいほうがいいとみなされているのであり、その比較をすること自体が禁じられているのである。

金融政策の領域では、リフレ、MMT(現代貨幣理論)、アベノミクス、この「日本金融政策史上の三大禍根」が、この構造から生まれたのだ。

似非(えせ)専門家が専門家のふりをして、そして、庶民と庶民の味方のふりをする必要のある政治家の気持ちをつかんだのだ。デフレがすべて悪い、インフレになればすべて解決する、という庶民にわかりやすいロジックを使うことで、庶民の味方であるかのようなふりをして、デフレ脱却という呪文を唱えて、社会を支配したのだ。

そして、財務省そしてついには日銀(そして日銀理論)をエリートの権化であるとして攻撃ターゲットとし、吊るし上げた。彼らのエリート主義が諸悪の根源であり、彼らと彼らの議論を葬り去ることがすべてを解決すると主張した。

それの理論的支柱であり、「実行する将軍」となったのが、エリート中のエリート、日本最後のインテリである財務省出身の黒田東彦日銀前総裁だったというのは、なんたる皮肉であったことか。私は、黒田氏のことを現在でも尊敬しているが、歴史の皮肉には、ため息をつかざるをえない。

そして、この庶民の代弁者として偉そうに振る舞う似非知識人、エリートでも知識人でもなく、かつ庶民でもない、エリート攻撃をして飯を食っている(大抵は裕福に)人々を、「たかがネット論壇にすぎない」とかなんとか言って、かかわらず放置してきたエリート達が、日本の論壇を堕落いや消滅させた、最大の有罪者である。

アメリカも日本も、現実は「望ましくない社会」   

一方、アメリカは、分断が起き、ワシントンとウォールストリートを目の敵にする49%のトランプ支持者が生まれた。これらの人々が「エリートとそれに支配されたメディアの言うことはすべてフェイクニュースだ」という戦法を使ってきても、結局はエリートサイドの49%(残り2%の気まぐれで大統領選挙の結果は決まる)が社会を支配しているという前提は崩れない。

その前提があるからこそ、49%のトランプ支持者は、「すべてはエリートの思うまま」という陰謀論をもとにまとまることができるからだ。

そして、結局はエリートおよび専門家が社会を動かすであろう。たとえトランプ政権になったとしても、トランプ支持者を利用するという制約条件のもとに、トランプという富豪とその周りのエリートと専門家が社会を支配する戦法を考案していく。

だから、どんなに分断が進んでも、専門的な知識を背景にロジカルで合理的な社会が成立し続けるのだ(普通のエリートの価値観からは理解できないロジックと社会であったとしても)。

今後の社会の中で、アメリカ的(というよりは欧米的)な、エリートによる論理から逃れられないエリートの視点だけによる政策に支配される社会と、日本的な常に情緒的な大衆ムード社会(私は一方向に常に傾く「ある意味のバブル」社会、と名付けている)のどちらが望ましいのか。

もちろんどちらも望ましくないのだが、現実は、この望ましくないどちらの社会からも逃れられないだろう(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

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