妻の死に直面した光源氏が女たちに吐露した心境 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑦

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何ごとにつけても、実際に逢(あ)うと想像よりすばらしいという人はまずいないのが世の常なのだが、つれなくされるとますます惹かれるのが光君という人の性分なのだ。

朝顔の姫君はそっけなくはあるけれど、ここぞというときには必ずしみじみした思いに共感を示してくれる。こういう関係だからこそ、互いにずっと思いやりを持ち続けられるというもの。たしなみや風流も度が過ぎるとかえって鼻についてしまう。紫の姫君をそんな女には育てたくない、と光君は思う。きっと二条院の対(たい)の部屋で、人恋しく過ごしているのだろう。紫の姫君を忘れたことはないけれど、それは母親のいない子をひとり置いてきたような気掛かりであって、逢えないことでどんなに自分を恨んでいるかと心配するのとは違い、まだ心が楽であった。

闇に閉ざされたような心持ち

すっかり日が暮れた。光君は灯火を近くに持ってこさせ、気を許した女房たちを呼んで思い出話をし合った。中納言の君という女房は、前からずっと光君と内々で関係を持っていたが、葵の上の喪中にあって、光君はそんな素振りを微塵(みじん)も出さない。それを、亡き人への深い思いやりだと中納言の君はありがたく思っていた。ただの話し相手として、光君は打ち解けて口を開く。

「こんなふうに幾日も、前よりずっと親しくいっしょに暮らした後に、離れなければならなくなれば、きっとたまらなく恋しくなるのだろうね。妻を亡くした悲しみはそれとして、あれこれ考えてみると、つらいことが多いね」

それを聞いて女房たちはみな涙を流し、

「今さらどうにもできないことは、闇に閉ざされたような心持ちにはなりますが、仕方のないことです。けれどあなたさまがこのお邸(やしき)を見限って、ふっつりいらっしゃらなくなることを考えますと……」と、もう言葉が続かない。それを見て胸が痛み、光君は言う。

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