妻の死に直面した光源氏が女たちに吐露した心境 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑦

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枯れた下草の中に竜胆(りんどう)や撫子(なでしこ)が咲いているのを見つけ、光君は仕えの者にそれを折らせた。中将が立ち去ると、光君は若君の乳母(めのと)である宰相の君に、母宮宛ての手紙を託した。

「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞ見る
(下草の枯れた垣根に咲き残る撫子を、過ぎ去った秋の形見と思って見つめています)

母上にはやはり、亡き母である葵の上のうつくしさに、若君は劣って見えるでしょうか」

若君の無垢(むく)な笑顔はじつに愛くるしい。風に吹かれて散る木の葉より、もっと涙もろい母宮は、光君の手紙を読んでこらえきれずに涙に暮れる。

今も見てなかなか袖(そで)を朽(くた)すかな垣ほ荒れにしやまとなでしこ
(お手紙をいただいた今も、若君を見て、涙で袖が朽ちるようです。荒れ果てた垣根に咲く撫子──母を亡くした子なのですから)

朝顔の姫君から来た返事

どうしてもさみしさの拭えない光君は、この夕暮れのもの悲しさはきっとわかってもらえるだろうと、朝顔の姫君に手紙を送る。ずいぶん久しぶりだったけれど、いつものことではあるので、姫君に仕える女房たちは気にすることもなく手紙を見せた。今の空の色と同じ唐(から)の紙に、

「わきてこの暮(くれ)こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまたへぬれど
(今日の夕暮れはとりわけ涙を誘い、袖を濡らします。もの思いに沈む秋は、もう何度も経験しましたのに)

時雨(しぐれ)は毎年のことですが」

とある。その筆跡を見ても、いつもより一段と心をこめてていねいに書いていることが伝わってきて、「これはご返歌しなければなりません」と女房たちも言い、また姫君もそう思ったので、返事を送ることにした。

「喪に服していらっしゃることを案じながらも、とてもこちらからはお便りできませんでした」とまずあり、

「秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ
(秋に、女君に先立たれてしまったと伺いましてから、時雨の空をどのような気持ちでご覧になっているかと思っておりました)」

とだけ薄い墨でしたためられて、見るからに奥ゆかしい。

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