気づかぬうちに陥る「現代の情報弱者」とは誰か 「だまされる人が愚か」だと言い切れない事情

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ワクチンが開発され、世界中で10億人以上に接種されたことで、パンデミックはようやく収束に向かいました。ところが、そういう話をXにポストすると、必ずといって「私はワクチンを打っていないけど一度もコロナにかかっていない」「本当は新型コロナワクチンなんて不要だ、製薬会社の陰謀だ」というリプ(返信投稿)が山ほど届く。でも、その人たちがワクチンを打たずに元気でいるのは、まわりの大半の人たちがワクチンを打ったことで感染拡大が食い止められ、ウイルスに曝露する確率が低くなったからでしょう。

大勢のワクチン接種という行動によって、感染拡大という悪いことを防いだ、その事実が反ワクの人たちには見えていないわけです。もう少し世の中を俯瞰的に見て「もし世界の誰もワクチンを打たなかったらどうなっていたか」などと考えてみれば、ワクチンの有効性がわかるはずなのに、「“自分は”ワクチンを打たなくても大丈夫だった」という視野狭窄に陥っている。このように自分のことしか見えない、考えられない人は存外に多いという現実を、コロナ禍で改めて思い知りました。

SNSで「現場の声」が可視化されている

人は往々にして「現場意識」を見過ごしがちです。「お客さん意識」が強く、何かを実際に運用している側にはなかなか想像が及ばない。先ほど挙げた本書の「堤防」の例からも、国や自治体に怒ることばかりに役割意識を感じ、現場で予防策のために力を注いでいる人たちには目が行かない、そんな人々の姿が垣間見られます。「権力VSか弱き市民」「システムVS非システム」みたいな二項対立でものを考えがちなのです。そういう構図で物事を描いて発信してきたメディアの責任も大きいでしょう。

そんな中、SNSが普及して誰もが発信できるようになったことで、いわゆる「中の人」的な現場のありようにも目を向ける人が増えてきました。

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