精神科医が「自分が病みそうになった時」の対処法 発した言葉が意図せず患者を傷つけることも…

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自分の言葉が人を傷つけるかもしれない、傷つけたかもしれないという距離にいつづければ、まあ病んでしまうだろう。え、病まないですかね。分からないが、少なくとも私は病んでしまう。なので、病みそうになったら一度撤退するというか、「直面化して考えさせないといけない場面だったよね」などと、こちらの立場を正当化することで、それでよしとしてしまう。白衣を着るのである。

距離をとって考えてみることで楽になり、逆に次の展開を考えやすくなったり、視界が開けたりすることはありうる。こうした態度は “メンタル”が崩壊しないように自らを守る知恵であり、まず精神科医が最初に身につけるべきだということを思い出した。

現実を「受け止めすぎない」

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しかしやはりこうした知恵のなかには、自分の白衣は絶対に脱げないという否認があり、でろでろに白衣もスクラブも脱げて上裸になりながら「患者さんのパーソナリティの問題で診察の継続が困難になりました」と述べているような現状がないかは、よくよく自分に問わないといけない。

改めて、現場で重要なのは、着たり脱いだりのジャケットダンス。それをできれば意図的にしてみる、ないしは無意識に行った直後に気づいていく、ということだと思う。

本稿を含む公開された文章はすべて患者さんが読む可能性があり、そして傷つく可能性がある。じゃあ書籍など書かなければいいわけだが、書いてしまうのは社会に必要な書籍だからというよりは、書籍を書きたいという欲が自分にあるからである。

つまり欲によって自らを公開し、患者さんを傷つけている、ということがあり得ているわけで、とんでもないわけだが、その現実を受け止めすぎるともう私は本など書けないわけで、それは嫌なのでなんとなくこのことを曖昧にしているというところもあるだろう。

それでいい、とする態度をとることで私の心は急速に楽になるが、100%それでいいわけではもちろんない。それは知っていて、でも公開してしまうようなずるい側面があるということを自分で理解しながら、そういう存在であることに罪悪感も抱きながら、診療も続けていきたいと、世界に甘えてしばらくは生きていきたい。

尾久 守侑 精神科医、詩人

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おぎゅう かみゆ / Kamiyu Ogyu

1989年東京都生まれ。慶應義塾大学医学部 精神・神経科学教室 助教。横浜市立大学医学部卒業後、下総精神医療センターなどでの勤務を経て現職。博士(医学)。著書に『器質か心因か』(中外医学社)、『偽者論』(金原出版)など。詩集に『国境とJK』『悪意Q47』(ともに思潮社)などがあり、第9回エルスール財団新人賞受賞。『Uncovered Therapy』(思潮社)で第74回H氏賞受賞。

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