精神科医が「自分が病みそうになった時」の対処法 発した言葉が意図せず患者を傷つけることも…

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、本当に言葉がメスなのであれば、べらべら喋るというのは診察の場においてメスをむやみやたらに振り回しているに等しく、その刃先が患者さんの頬をかすめたり、場合によっては不幸なことにぐさっと刺さってしまったりすることもあるわけである。

メスを振り回している自覚のない恐ろしさ

「3年前、初めて先生が言った――――という言葉を時々思い出すんです」

などと突然患者さんが言うことがあり、ややや、これはまずいことになった、私の振り回してしまったメスが当たってしまい、それが今責められているのだ。しかも、私自身はそんなことを言ったことは微塵(みじん)も覚えていない、ややや、どうしよう、ややや、ややや。

と意味不明の掛け声をかけて恐れ慄(おのの)いていると、実は私が3年前に発した言葉に支えられている、というポジティブな内容だったりしてほっと一安心するわけだが、しかしよく考えてみて安心できないのは、振り回したメスのうち、なにが患者さんを傷つけ、なにが患者さんの病巣を切り取ったか、メスを振り回した当人がよく分かっていないという事実は変わらずそこにあるからである。

当然、私の診療の技術が未熟であることにも由来するのだが、おそらく、外科医が手術で病巣を切り取る以上に、精神科医がふるう言葉のメスがどう患者に作用するのかというのは予測不能な部分が大きいということも部分的には示唆していると思う。分からない。外科手術においても、意図してもうまくいかないこと、予想だにしない生体の反応というのはひょっとしてあるのかもしれないが、知らぬ間に大血管を切っていて、3年経ったあとに急に手術の合併症で亡くなったということは通常ない。

血管に触らないよう注意して結合組織を剥離するように、精神科の診療においても命に関わる血管を切ってしまわないよう慎重に言葉を使いながら診療を進めていくことは当たり前なのだが、それでも実は動脈を切っていて、大出血していた、ということが後になって分かるということがある。

次ページ切られた本人が気づかない場合も
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事