その渡航先の多くは日本やシンガポールです。一般的には、退職した社員とは人間関係が途絶えますが、新谷社長は対話を重視し、特別な関係を築いているため、退職後もメッセージでやり取りする社員が多くいます。
また、日本の異なる場所で働く元社員が大阪に来た際には、一緒に食事するなど、交流を続けている元社員も少なくないようです。
先日、日本に来ている元社員のメンバーに声をかけ、車を借り切って京都観光を企画されました。集まったメンバーは12人。
その中で涙を流す社員がいたので理由を聞いてみると、IT企業で働いているのではなく、日本語学校に通っているとのことでした。日本で介護の仕事をしながら指定の日本語学校、そして介護専門学校に通い、介護施設で8年間働けば、留学費用は奨学金制度の利用で、自己負担なく通えるというプログラムで来日したそうです。
途中でこのプログラムを辞めると、違約金として授業料約300万円を返済しなければならないため、辞められないとのことです。
20代のほとんどを日本で過ごす意味
ミャンマー国内の政治的混乱から生活が厳しくなる国民が多い中、仕事を選ぶ余裕もない状況で選んだ道。生きるための選択肢としては恵まれているかもしれませんが、20代の一番大切な時期の8年間、この制度は外国人目線で見れば複雑な心境になります。
来日3年目でITスキルも高く、日本語力も高い、ECサイトを運営する日本の会社で働くIT人材がいます。給料は能力から見れば決して高いわけではなく、転職しようと思えば引く手あまたで賃金も上がりそうです。
それでも転職しないその人材に対して、ある時、新谷社長は「なぜ転職しないの?」と聞いたそうです。すると、その人材は「何度も辞めよう、転職しようと思った。ただ、社長がミャンマーのためにがんばってくれているから、私もこの会社でがんばって恩返ししようと思っています」と答えたそうです。
とはいえ、こう考えてくれる社員だけではなく「すごく感謝され、関係は深くなるが、会社を辞めるときは割り切ってあっさり辞める」「ただ、今の国の状況もあって環境が厳しいし、文化の違いもあるので仕方ないこと」と笑って答えています。
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