37歳で死去「道長の甥」伊周が遺した"最期の言葉" 道長はライバルである伊周をどう思っていた?
伊周は、息子や娘(姫君)たちを集めて、このような言葉を遺します。
娘には「このような情けない死に方をするとは。そうと知っていたならば、お前たちこそ、私より先に死ぬべしと、神仏に祈るべきだった。私が死んだら、お前たちが、どのような扱いをされるだろうかと思うと、堪らなくなるのだ。万が一、世間の物笑いになるようならば……。見苦しい振る舞いをお前たちがするならば、この世を去ったとしても、必ず恨もうぞ」と。
父の伊周に似た、伊周の子・道雅
そして息子には「くれぐれも申しておくぞ。私が亡き後に、見苦しい真似はしてくれるな。名簿を持ち歩いて、権勢家(権威や勢力のある家柄)に面会を求めることはするな。それは、父であるこの私の顔に泥を塗ることだ。世間の人々に、帥殿(伊周)の息子が『あのようなことをするなんて』と言われることはしてくれるな。万一、命を長らえることができたなら、出家せよ。ただ、出家するばかりであるぞ」と厳命したのでした。
しかし、伊周の子・道雅もまた粗暴な言動により「荒三位」(道雅は従三位まで昇る)と呼ばれたことを考えたら、父の遺命に背いたと言えるでしょう。それとも、道雅には父・伊周に似たところがあるので、「さすが我が息子」と伊周はあの世からほめたのでしょうか。
(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・繁田信一『安倍晴明』(吉川弘文館、2006)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・繁田信一『殴り合う貴族たち』(KADOKAWA、2008)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
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