ベトナムで「日本の会社」支える女性社長の生き様 丸亀製麺、吉野家、マツキヨなど提携先増やす

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大学で成績優秀だったメイさんは卒業後も、大学院へ奨学金付きの進学が約束されていた。だが、帰国を申し出てベトナムに戻ったのは1989年の夏、18歳のときだった。図らずも、それからおよそ3カ月後、ベルリンの壁が崩壊、そしてソ連崩壊へと続いた。

ベトナムに帰国したメイさんが迷わず始めたのが、日本語の習得だった。夜間の貿易学校に2年通って、日本語と貿易実務を学び、当時、ベトナムで日本企業初の駐在事務所を開設していた商社「日商岩井」(現・双日)に就職した。

面接時には話せなかった日本語も、7年勤務する間に上達。第1子を出産するタイミングで、日本企業の貿易を広くサポートしたいと、日越貿易会社に転職した。

そこで、さまざまな日本の中小企業の経営者らに出会った。アジアン雑貨ブームに乗って、民芸品を企画生産し、日本に輸出する会社を立ち上げたり、事業継続が困難になった大手日系ハムメーカーの水産加工工場を引き取ったりしながら、経験と信頼を積み重ねていった。

水産加工の事業では、子どもを寝かしつけた後、深夜0時に卸市場に出かけて原材料を仕入れ、早朝5時に戻って、2時間寝てまた仕事に出る、という生活を5年続けた。

その加工会社は2009年に新工場を稼働させ、現在、えびカツや魚のすり身を製造して日本に輸出し、ベトナム国内向けにはコンビニやスーパーに惣菜や冷凍食品を製造するなど、順調に事業を拡大している。

「いろんなトラブル、失敗もたくさんありましたが、そのたびに日本の人たちが助けてくれました。生活の面では子どもをきちんと学校に行かせ、3LDKのマンションに住めればいいと思っていました。でも、仕事で日本の人に学びたい、日本人の優しさを宣伝したいという気持ちでいっぱいでした」と振り返る。

その根っこには、「日本の人が食べているものや使うもの、丁寧につくられた、安全で衛生基準の高い製品をベトナムの人にも届けたい」という強い思いがあったのだという。

転機となったオムツの販売代理店事業

メイさんの事業を大きく方向づけたのが、1999年にスタートした大王製紙の紙オムツの販売代理店事業だ。

日本製は当時のベトナムの一般的なオムツの3〜4倍と高く、売れる見込みがない。周囲に反対されたが、誰もやらないなら挑戦したいと代理店を引き受けた。

ちょうどその頃に、メイさんの第2子が誕生した。普段使うオムツではおしりがかぶれるのに、この商品ではかぶれない。ニーズは必ずある、と確信したという。

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