5浪で悟った「身の程」早大卒の彼が捨てた拘り 苦学の道を余儀なくされ、新聞配達を続ける

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「もしかしたらいけるかもしれない」と思ったこの年の入試。しかし、それでも現実は厳しいもので、早稲田・上智・立教・青学・学習院の文学部を5つ受けて全落ちしたホリ・ホーリーさん。

ついに現役生が大学を卒業し、社会人に突入する年齢になる5浪目に突入します。しかし、この歳になって、ようやく彼の目には希望が灯ってきたそうです。

「いよいよ今までやってきたことが形になってきたんです。模試の偏差値は60を超えて、早稲田でも夜間学部だった第2文学部や社会科学部でD判定がポツポツ取れていました。C判定以上は取れなかったものの、もうこの年で何とかしなきゃと思っていました」

この年は初めて文学部以外も受験します。早稲田は第1文学部、第2文学部、教育学部、社会科学部。立教・上智・学習院の文学部と、明治の文学部の1部と2部の5大学・計9学部を受験しました。

学費を稼ぎながらの5浪生活を終える

「5年間、受験を続けてきて、明治大学の文学部(2部)だけは手応えがありました。ほかはダメだったのですが、そこだけは受かっていて、やっと形にすることができたと思えましたね。そのあとに、早稲田大学の第2文学部の合格発表を迎えて、まあ無理だろうと諦めていたのですが、電話で『おめでとうございます、合格です』という声を聞いて呆然としました」

信じられない合格の報せを聞いた彼は、「嬉しかった」と感じるのではなく、ただ「終わったんだ」という感覚にしかならなかったそうです。

「今ではもっと喜ぶべきじゃなかったのかな? とも思いますが、心が疲れきっていたんですね」

こうして彼は予備校の学費をすべて稼ぎながら取り組んだ5浪の生活を終えました。

新聞奨学生をしながらの5浪が実を結んだホリ・ホーリーさん。お世話になった新聞販売店の人たちにいい報告ができて、激励の言葉をもらえたことで、だんだんと実感が湧いて嬉しさが込み上げてきたそうです。

濱井正吾 浪人 早稲田
新聞配達員をしながら予備校代を稼いだホリ・ホーリーさんの学位記(写真:本人提供)

彼に浪人してよかったことをお聞きしたところ「身の程を知れた」こと、頑張れた理由については「意地」と答えてくれました。

「私は天才じゃないんだと気づいた5年でした。そのおかげで、偉そうにしても仕方ないと思えて、細かい上下関係などを気にしなくなったのはとてもよかったと思います。

今も社会人として働いていて年下の上司がいっぱいいますが、それでもいいやと思えるようになったんです。謙虚さを身につけることができました」

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