「ひとり死の先輩」を看取って考えたシングル社会 最後の言葉は「自宅でこのまま死なせてほしい」

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「生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮」を引き受けるのは並大抵のことではないからこそ、その前提として親密な関係が必要だといえる。

だが、私とKさんの事例のように、「親密」という言葉からイメージするよりはずっと弱い関係であっても、身寄りのない大家を失った唯一の店子として、引き受けざるをえなかった。私が単なるお人好しといえばそれまでなのかもしれないが、読者のみなさんも私と同じ状況に置かれたとしたら、私のようにせざるをえないのではないか。

幸いなことに、Kさんが亡くなってから2カ月後に音信不通だったKさんの姪御さんが見つかった。その姪御さんご夫婦にすべてを引き継いで、私がKさん宅から退去したのは、Kさんが亡くなって半年後のことであった。

仕方なく「巻き込み型親密圏」

ひとり死の先輩Kさんの事例は、身内に代わる支援やケアをめぐって深刻な問題が私に降りかかってきた事例であり、家族を前提とした社会のしくみが社会の急激な変動に対応できなくなる未来を先取りしている出来事でもある。

さらに、興味深いことに、高齢期シングルKさんのケアを、ミドル期シングルの私が行うというのは、まさに書名の通り『東京ミドル期シングルの衝撃』を象徴するような出来事のひとつではなかったかとも思える。

ひとり死だけでなく、ひとり暮らしの高齢者の終末期のケアや死後の問題については、私のような身近な他人としての個人の場合、支援現場でホームヘルパーや支援員のような福祉専門職や行政の担当者の場合でも、短期間の親密性や、従来の親密性よりもずっと弱い関係性の身近にいる誰かが、無理をして「巻き込まれる」形で対応している現状があるだろう。それをあえて親密圏と呼ぶなら、「巻き込み型親密圏」とでも呼んだらよいだろうか。

誰かが無理をしている状況は決してよいことではなく、何らかの制度的な解決を目指したほうがよいに決まっている。だが、「巻き込み型親密圏」は、人間が人間らしくあるためには、ある程度仕方ないのではないか。

私は「巻き込まれた」側であるいっぽうで、ひとりで抱えきれずに、地域包括支援センターの支援員さんや往診を頼んだお医者さんを「巻き込み」、結果的に「Kさん看取りプロジェクト」のリーダーとして動いていたといえる。

その担当してくれた支援員さんは、Kさんとは1週間、時間にして数時間の接触だったのだが、支援員さんにも相当なストレスだったようだ。亡くなった当日夜に支援員さんのほうから労いのお電話をいただき30分も事の経過をふたりで回想した。お互い抱えきれない想いが吐き出された電話だったと思う。

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