「ひとり死の先輩」を看取って考えたシングル社会 最後の言葉は「自宅でこのまま死なせてほしい」

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Kさんは風邪ひとつひかないような健康な人だった。しかし、80歳をむかえる年の9月、買い物帰りに転倒して、救急車で病院に運ばれ、入院を拒否して自宅に帰って来る、そういうことが何度か繰り返されるようになった。

Kさんは仏教思想に傾倒し、終末期医療のあり方には大いに疑問を抱いていた人だったので、私からすればKさんが入院を拒否するのは、当然のことと理解できた。

そうとはいえ、見るに見かね、10月に入ってすぐ、Kさんの了解は事前に得ずに、区の地域包括支援センターに相談した。身寄りがないとのことだったので、支援員の方に要介護認定の手続きをお願いしながら、何とかKさんを説得して、入院・治療を受けてもらう、それがだめならKさんの意識がなくなったら救急車で病院へという私の算段だった。

だが、支援員の方に入ってもらってから1週間ほどで、冒頭で紹介した「自宅でこのまま死なせてほしい」との言葉を最後に、翌朝、私がKさんの亡骸を発見した。

誰が「巻き込まれる」かわからない時代

結果的に、看取りケアとその後の対応を私が主にしたのだが、身寄りがあれば、こうしたことは家族・親族が中心とした親密圏が担うものである。今後、増加するミドル期シングルが高齢期に突入すれば、私とKさんの事例のように、言葉は悪いが、誰が「巻き込まれる」か、わからない時代となるかもしれない。

現在のいわゆる孤独死の事例では、Kさんと私とは逆の関係、店子が亡くなり大家あるいは不動産屋が「巻き込まれる」ということのほうが圧倒的に多いだろう。

そもそも親密圏とは、家族・親族や地方の地域共同体だけでなく、最近のより広い定義によれば「具体的な他者の生╱生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮を媒体とする、ある程度持続的な関係性を指すもの」(斎藤純一2003『親密圏のポリティクス』ナカニシヤ出版p.213)なので、私とKさんの関係性は、店子と大家という関係以上であって、「生╱生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮を媒体」にしていたといえるし、「ある程度持続的な関係性」であったともいえるので、親密圏といえなくはない。

近年は、こうした親密な関係性を従来の親密圏とは区別して「オルターナティブな親密圏」と呼ぶことがある。

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