「株価暴落」引き起こしてしまう意外な"きっかけ" 金融危機のきっかけとなった市場急落のケース

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<ドットコム(IT)バブル崩壊>

2000年前後の株価高騰は、インターネットなどのIT産業が、今後世界の産業界を牽引していくとして株価が急騰した。ちょうど、現在の「AIブーム」や「半導体ブーム」に似た状況だったと言っていい。そのITバブルはいくつかの段階を経て終焉を迎える。2001年2月に発表された、ITブームを代表する企業のひとつであった「シスコシステムズ」の決算発表も、そのきっかけの1つと言われる。

同社の2000年第4半期の業績が市場予想をわずかに下回ったためだが、同社の株価は1週間で23%下落し、ナスダック市場全体も、1週間で7%を超えて下落。ドットコム・バブル崩壊に拍車をかけた。

1996年には1000前後で推移していたナスダック総合指数は、ドットコム・バブルの絶頂期には「5048」にも達した。シスコシステムズなどの株価暴落で、最終的には2002年には1000台まで下落。当時、イェール大学ロバート・シラー氏が書いた『根拠なき熱狂』が注目を集めたが、2001年に入ってからは光ファイバー大手の「グローバル・クロッシング」、電気通信大手の「ワールドコム」などが相次いで経営破綻。ドットコム・バブル崩壊は2000年4月に平均株価が1割下落したあたりから始まり、その後2002年まで3年間も続くことになる。

ちなみに、日本ではITバブルが起きて光通信、ソフトバンク、ヤフー、サイバーエージェントといったIT企業の株価が急騰したものの、2000年3月に月刊文藝春秋が光通信の不正を報道したあたりから、日本のネットバブルも崩壊を始める。その後、2006年には「ライブドアショック」も起こり、日本のIT産業の株価は長期的に低迷期に入っていく。ライブドアショックは、リアルタイムで同社に家宅捜査が入る映像が流れ、株式市場はIT企業を中心に暴落する。

日本のバブルが崩壊したとき

<バブル崩壊>

1985年のプラザ合意によって急速な円高が進んだため、財務省が必要以上の金融緩和を実施して、日本の1980年代後半は空前の株価ブーム、不動産ブームに沸いた。しかし、1989年の大納会でつけた日経平均株価の史上最高値は、1990年の大発会以後、継続的に下落を続け、バブルが崩壊した。

その最大の要因は財務省が出した、不動産投資の融資に関する銀行宛の通達「総量規制」だと言われているが、海外の投資銀行が意図的に株価を吊り上げ、空売りによって莫大な利益を手にしていたことはよく知られている。株価が34年ぶりに戻ったのはつい最近のことだ。

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