堀内:まさに日本の旧制高校の流れですね。戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。
それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています。
ハーバード大学に専門系の学部は存在しない
山口:そうですね。トーマス・マンもヨーロッパの人で、一般にリベラルアーツというとヨーロッパで重んじられていて、アメリカはその反対で実学志向というイメージがあるかと思いますが、私の感覚ではそうではありません。
アメリカの大学ランキングを見ると、ほとんどの年でトップになるのはハーバード大学ですが、そのハーバード大学に法学部や経営学部など専門系の学部はありません。学部ではリベラルアーツ学部しかなく文理融合的な知識を学ばせています。
元々アイビーリーグに属する大学の起源の多くは牧師さんを育てるための学校で、18世紀頃の牧師さんは、社会のありとあらゆることを行っていました。医師でもあり学校の先生でもあり、また政治家のような仕事もしていましたので、社会のあらゆることを知っていなければならなかったのです。
最近、日本の一部の識者が「実学志向のアメリカに倣って、文学部のような人文科学系の学部は廃止してもよい」と言っているようですが、無知とは本当に恐ろしいことで、こうした事実をよく知らないんですね。彼らに日本でよく知られているハーバードのビジネススクールやケネディスクール、メディカルスクールなどはみな大学院ですよと言うと、絶句してしまうわけです。
アメリカでは社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。
リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです。
ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね。