認知症の人が「死ぬ前、普通に話し出す」一体なぜ なかったことにされていた終末期明晰の謎に迫る
この1年というもの、わたしたちがだれだかわからなかった祖母が、会いに行っても反応さえしなかった祖母が、家族ひとりひとりを名前で呼んでいるなんて。それまでの祖母は、手を握られたらぱっと離していました。おそらく刺激に対する無意識の反応だったのでしょうが、その日はしっかりした明瞭なドイツ語で、「戻ってこられて」うれしいと、わたしたちに会えてうれしいと言ったのです。
それから祖母は、愛おしげに夫を、つまり祖父を見つめると、おじいちゃんをくれぐれもよろしくね、とわたしたちに言いました。あの大きな家でひとり暮らしをするのは大変だから(当時、祖父はわたしの母が育った大きな家に住んでいました)、身のまわりの世話をしてくれる人が必要だとも言いました。
祖父が少し前に家政婦を雇ったことをわたしたちが話すと、祖母はこうぴしゃりと返しました。「そうなの、じゃあ教えてくれればよかったのに!」(祖母には家政婦のことを話していませんでした。会話どころか、話しかけることも1日前までは考えられなかったのです)。ですがいまの祖母は、わたしたちの言葉を明らかに理解しており、話を聞いて安心したようでした。
祖母が祖父の手を取ったので、わたしは祖父の顔を見ました。太い涙がいく筋もその頬を伝い落ちていました。嗚咽をこらえながら、祖父は絞り出すように言いました。「愛しているよ」。すると祖母は、「わたしもよ」と答えました。そのときの祖父を見つめる祖母の目といったら……これを書きながら、わたしも泣いています。あの日、祖母の目に宿った明晰さ、切迫した思い、そして愛情が、いま見ているかのようにありありと思い出されるからです。
こうした会話は20分から30分ほど続きました。それから祖母はまた横になり、じきに眠りにつきました。わたしたちは面会時間の終わりまでもう半時間ほど祖母のもとにとどまり、その後、そっと病室をあとにしました。祖父はわたしと腕を組んで病室を出ましたが、2、3メートル歩いたところで腕をほどき、介護施設の廊下を戻っていきました。もう一度だけ、妻にキスをするために。
翌朝、眠りながら安らかに…
翌朝、病棟の看護師から電話があったとき、わたしは出る前から相手がなんと言うかわかっていました。祖母が86歳で眠りながら安らかに逝ったという、そのことを。それは、わたしが今日まで目にしたなかでもとりわけ美しい、驚くべき、そして感動的な出来事でした。
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わたしのデータベースで、この事例は「CH34」(「スイスの事例、34番」という意味)となっている。先の事例説明は、最近亡くなった神経障害患者の介護者と患者の家族、合わせて数百人に送った質問票の回答に追記する形で届いた。CH34のデータは、わたしが研究している終末期明晰の現代の事例を集めたより大きなデータベースに組み込まれ、最終的にブルース・グレイソンとの共著で2019年に発表された。
もっとも、いま見たように、この種の体験には単なるデータでははかりきれないものがある。それどころか、こうした体験に比べたら、研究者が論文や報告書で発表できることなど微々たるものだ。
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