認知症の人が「死ぬ前、普通に話し出す」一体なぜ なかったことにされていた終末期明晰の謎に迫る

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CH34のデータの裏側にある物語や生きた経験は、さらにはほかの数々の事例の裏側にある物語はどうなるのだろうか? 先の報告を送ってきた(患者の)孫娘は、次のような短い私信を添えていた。

「何が本当に起きたのか、あなたに知ってほしいと思ったのです。この質問票の項目では、あの日わたしたちが見たことは何ひとつ伝えられませんから」

終末期明晰の調査を始めたとき、たくさんの回答者が同じようなことを言い、また書いてきた。意外にもその声はとても多く、じきにわたしは、当初取り組んだデータ主体の手法では、何が「本当に起きた」のかをほぼ知りえないことに気づいた。

そこで終末期明晰のパイロット調査を実施した数カ月後、わたしは調査の参加者に、参加者自身の話もぜひ書き送ってくれるよう頼みはじめた。彼らが経験したことをきちんと受けとめて理解したいと思ったのだ。とりわけ一部の参加者から、自分の思いを吐き出せる場所が身近にないことを聞いて、彼らが見たり聞いたり感じたりしたことを書き込めるスペースも新たに設けた。

このような物語と、それら(もちろん、実際のデータも)が生と死の両面におけるわたしたちのあり方について教えてくれることが、わたしの研究テーマだ。ここから先は、そうした本書の主題に通じるふたつのアプローチを等しく見ていこう。そのふたつとは、個人にかかわるものとデータだ。どちらも片方が扱えない領域を扱い、互いに補い合っている。

のちに詳しく見ていくが、物語そのものが、データをさらにともなうことで、人間の本性の忘れられた側面や、魂や、尊厳、共感、つながり、意味、そしてわたしたち自身について、このうえもなく美しい物語を語りかけているように思えるのだ。

人間の生と死がもつ、無条件の意味深さと重要性

したがって私は、遠い故人の物語だけでなく、人生の終焉における心と自己のノーマンズランド(どちらにも属さない領域)を研究することから何を学べるか、ということにも焦点を置いている。この生まれてまもない研究領域とその裏側にある物語を掘り下げていけば、わたしのチームの集めている調査資料が、人間とは何者で、どこに属し、どんな希望を抱きうるかについての重要なメッセージをはらんでいることがわかるはずだからだ。

死の前、「意識がはっきりする時間」の謎にせまる 「終末期明晰」から読み解く生と死とそのはざま
『死の前、「意識がはっきりする時間」の謎にせまる 「終末期明晰」から読み解く生と死とそのはざま』(KADOKAWA)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

この研究を通じて学んだことはたくさんあるが、そのなかでも、人間ひとりひとりの生――そして死――がもつ無条件の意味深さと重要性を、確かな根拠をもとに肯定するための強力な裏づけを授けてくれるとわたし自身が考える発見について伝えようと思う。この研究は現代に、わけてもいま、この時代に切実に必要とされるメッセージを提供できると信じている。

終末期明晰に関するわたしのチームの研究成果を知れば、人生をいまよりもポジティブに捉えられるだろう。そしてその人生は、意味や共感、慰めや相互受容、支えや愛情、壊れに壊れた世界を修復する意志、そして――そう、とても強固で揺るぎない根拠に裏打ちされた、それゆえにさまざまな意味で病や死さえよりも強い「希望」にもとづいているのだ。

アレクサンダー・バティアーニ博士 認知科学者

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あれくさんだー・ばてぃあーにはかせ / Alexander Batthyany

ブダペスト、パズマニー・ペーテルカトリック大学の理論心理学および人格主義研究研究所(Research Institute for Theoretical Psychology and Personalist Studies)所長。ヴィクトール・フランクル研究所所長。また、モスクワ精神分析研究所の客員教授として実存的心理療法を教える。著書・編書は15冊以上あり、学術的な著作は10か国語に翻訳されている。日本を含め、世界各地での講演経験も多数。現在はウィーンとハンガリーの地方の二拠点で暮らしている。
 

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