認知症の人が「死ぬ前、普通に話し出す」一体なぜ なかったことにされていた終末期明晰の謎に迫る

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過去十数年にわたり、わたしは終末期明晰とはいったい何かを理解しようとし、大量の事例報告を集めてきた。そのデータはいまも増えつつある。それでもまだ、終末期明晰は、どのひとつの事例を取っても謎に包まれている。その理由は、この現象が(臨死体験と同じく)自己の本質にかかわるなんらかの親密で実存的な、さらには精神的(スピリチュアル)な問いに触れるからにほかならない。病気、障害、そして最後に死と、さまざまな変遷をたどる人生の旅路を通じて、自己がいかに自己のままであり続けるのか、あるいはあり続けないのかは、謎のままなのだ。

したがってこれから語るのは、いまだ知られざる、より長い物語のほんの序章にすぎない。とはいえ、それはとっくに語られているべき物語であり、そしておそらくもっと大事なことに、わたしたちが耳を傾けるべき、あまたの個人の物語を含んでいる。

物語とデータ

この先で見ていくことの予習として、まずは厳密な調査研究と、その研究の個人的で経験的な側面との緊張関係について説明させてほしい。例として、あなたの事例報告書に、進行性アルツハイマー病を患う86歳の女性が終末期明晰を経験したことを書くとしよう。

報告書に書き込むのは、きっかり4つのデータ項目――年齢、性別、病名、予想外の事象(終末期明晰)だ。一方、その患者の家族は、患者が亡くなるときに実際に起きたことについて、次のようなまったく別の見方をしている。

===

わたしの祖母は、数年前からアルツハイマー型認知症を患っていました。祖母を介護施設に入れると決めるのは、わたしたち全員にとって、とりわけ祖母と60年以上連れ添った祖父にとって難しい決断でした。けれどもある時点から、祖母を自宅で介護するのは、いくら最愛の相手とはいえ、老いた祖父の手には余るようになりました。

病気の末期になると、わたしが知り、愛していた祖母の面影はもうほとんど残っていませんでした。初めはわたしたちのことがわからなくなり、やがて会話がなくなって、最後は食事も食べさせてもらうようになりました。自力で食べる力がなくなったのです。

それでも祖父は毎日、祖母のもとを訪ねていました。午前中と午後に一度ずつ。わたしたち家族は、毎週日曜に会いに行きました。実際には、祖母に会いに行ったというより、祖父のサポートをしに行ったと言うほうが正しいですが。そしてあの日、「奇跡」が起こりました。

病室の前に着いてノックをし、なかに入ると――祖父が愛おしそうに祖母の手を握りながら、なんと祖母に話しかけていたのです! 最初は、思わず自分たちの目と耳を疑いました。でもそれから、祖母はわたしたちひとりひとり(5人全員)に目を向けたのです。その大きく美しい瞳は見事に澄んでいました。忘我と無気力の濁りは、あの「死んだような目」は消え、代わりに澄みきった、生気に満ちた表情がそこにはありました。きらきら輝く水面(みなも)のような。あれほど美しいものはちょっと思いつきません。

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