冷静に考えれば、そんなふうに動けば、相手がより優位な立場に立つことは明らかだ。噂が事実無根、あるいは、事実だとしても確たる証拠がなければ、どっしりと構えて、道長からのリアクションを待つのが、後継者候補である伊周がとるべき態度だろう。
そんな判断も下せないほど、伊周は心を乱されていたらしい。迫力ある叔父の道長のことが、よほど怖かったのだろう。
恐縮した伊周を迎えた道長はどうしたかといえば、噂にはまったく触れることはなかったと『大鏡』では、記述されている。
道長は素知らぬ顔で、御岳詣での土産話などをしていると、「いたく臆し給へる御気色のしるき」とあるように、伊周があまりにおどおどしている。道長は「をかしくも、またさすがにいとほしくもおぼされて」と、そんな伊周を何だか気の毒にさえ感じたようだ。
双六でも負かされてスキャンダル事件を起こす
そこで道長は、不意に双六盤を持ち出した。双六は平安時代に人気があったゲームで、双六盤のほか、白コマと黒コマを15ずつ、そして振り筒、サイコロ2個を用いるものだ。
道長は「久々に双六でもやるか」と誘い、伊周がこれに応じると、競弓のときと同様に圧勝。伊周は、またも打ち負かされて、帰路につくこととなった。
道長が巧みだったのは、あえて疑惑を追及しなかったことだろう。証拠が不十分なことを持ちかけても、相手に攻め手を与えるだけだ。相手の態度をじっくりと見極める、道長の冷静さが見て取れる。
一方で、伊周は疑惑の段階で、慌てて謝罪に来て、しかも、政治に関係ない遊興で惨敗するという失態を犯してしまった。
その後、伊周は「長徳の変」というスキャンダルを犯して、勝手に転落していく。何が起きたかといえば、伊周が自分の好いた女性を花山法皇にとられたと勘違いし、弟の隆家とともに、法皇を襲撃。問題視されると、ほかの不祥事も道長に指摘され、伊周は隆家とともに失脚することとなった。
なんともマヌケな事件だが、道長からのプレッシャーに晒されて、情緒が不安定になっていたのかもしれない。
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