1994年に転機が訪れる。バンドメンバーの後輩経由で知り合った音楽プロデューサーから声がかかり、デビューが決まったのだ。決め手はBe-Bさんの声質。歌唱力は練習でうまくなるが、声質は生まれ持ったもので変えられない。そこを評価され、「真夏の愛YAIYAI!」でデビューしたのだった。
念願かなったわけなのだが、事務所が売り出した方向性はアイドル系。大好きなハードロックのようにシャウトして歌うことは許されず、明るく澄んだ声でレコーディングに臨んだ。楽曲も、自身が作詞作曲したものは「こんな地味な曲は売れない」とボツにされ、ふてくされそうになる気持ちを抑えて、用意された曲を歌った。すると、セカンドシングル「憧夢〜風に向かって〜」で、第36回レコード大賞新人賞と日本ゴールドディスク大賞新人賞に輝いた。デビュー1年目にしての快挙である。
芸能人じゃなくて歌手になりたかった
人生が変わったのかと問うと、謙虚な笑みを浮かべながら「少しだけ」とBe-Bさんは頷く。
「当時、空手道場に通っていたんです。教えてくれていた内弟子の人たちは、地方から出てきた大学生ばかりで、お金がないからいつもカップラーメンを食べているわけですよ。私は印税をどう使えばいいかわからないから、みんなによくご飯をおごっていましたね。親に100万円を仕送りしてみたりもしました」
デビュー1年目に出したCDは、累計100万枚以上の売り上げを記録。知名度も一気に上がったが、当時の年収は1000万円以下。作詞作曲は行っていなかったため、歌手としての印税1%が入るにとどまったのだ。
さらに翌年以降、ほかのミュージシャンを打ち出す事務所の方針もあり、Be-Bさんのスケジュールには白紙が増えるように。本来やりたかったハードロックとの乖離もあって、現状に違和感を覚えるようになった。
「がむしゃらに頑張っていたけど、なんか違うなーみたいな。だって人前で歌う仕事はほとんどなくて、ラジオ番組で喋ったり、雑誌のインタビューで何回も同じこと言ったり。私は芸能人じゃなくて歌手になりたかったけど、そのときにいた環境では難しいんだって気づきました」
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