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ノーベル経済学賞が暗示「日本は収奪的な社会か」 イノベーションが起きても自動的に成長しない

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2024年ノーベル経済学賞「包摂的な社会でなければイノベーションは成長につながらない」の意味。

日本はいつのまにか「収奪的な社会」に移行している (撮影:今井康一)

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「日本は包摂的な社会か、収奪的な社会か?」と聞かれたら、多くの人は「包摂的な社会だ」と答えるだろう。だが、本当にそうだろうか。

2024年のノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンは「包摂的な社会でなければイノベーションは成長につながらない」と説いた。彼らの論考を読み解くと、実は日本が気づかないうちに収奪的な社会になってしまっていたことに気づかされる。

日本はいつのまにか収奪的な社会に移行していた

アセモグルとジョンソンが『技術革新と不平等の1000年史』(早川書房/2023年)で論じたのは、端的に次のとおりだ。

・歴史的に見ると、包摂的(多くの人に広く恩恵がいきわたる)ではないイノベーションは、一部の人が富を独占する「収奪」を推し進め、必ずしも成長にはつながらない。
・イノベーションが収奪的なものになるか、包摂的なものになるかは事前に決まっているわけではなく、社会によって規定される。

さらに、アセモグルがジェイムズ・A・ロビンソンとの共著『国家はなぜ衰退するのか』(早川書房/2013年)で指摘したのは、自由競争社会であるはずのアメリカで、実は金権政治がものを言うようになり、青天井の企業献金が許され、イノベーションの果実もトップの富裕層に集中している、という事実だった。

彼らは、衰退した国家はいずれもリーダーや権力者が民衆や弱者から搾取する収奪的政治制度の下で統治されていたが、実はアメリカも収奪的な社会になっているのではないか、と警鐘を鳴らした。

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