「国際社会意識調査」を見てみよう。 以下の質問を「政府の責任」と考えない回答者の割合の多さを知ることができる。まるで、私たちは、「弱者」を「既得権者」と認識し始めているようだ。
「弱者」の救済は道徳的には正しい。市職員の行為を支持した人たちも、研修医たちも、まちがっている。だが、「弱者へのやさしさ」を当然視するリベラルは、長年、苦戦を強いられてきた。正しさが民意と同じであるとは限らない。
哲学者ニーチェは、「強者」に対するねたみ、憎悪を「ルサンチマン」と呼んだ。生活苦や仕事のきびしさに耐えている大勢の人たちが、さらなる弱者の既得権を監視し、ねたみ、批判する。まるで「ゆがんだルサンチマン」だ。
「弱者」とは決して弱い人たちではない。やむをえない理由で、弱い立場に置かれた人たちだ。それなのに、弱者が、さらなる弱者を叩く。この様子をTRAIN-TRAINの作詞家である真島昌利さんは、どんな気持ちで見ているのだろう。
悲観する私、肯定的未来を思う娘
「世界価値観調査」によると、「国民みなが安心して暮らせるよう国は責任を持つべき」という質問に8割近い回答者が賛成している。私たちは貧しくなった。「誰か」ではなく「みんな」の不安をなくすための政策、「弱者」の<再定義>がいま必要なのだ。
この歌は悲しい予言の曲なんだよ――そう言って、私は、娘にTRAIN-TRAINを聞かせた。あまり実感がわかない様子だった。だが、聞き終わると、彼女はおもむろにYouTubeをひらき、Snow Manの曲を流し始めた。
もしかするとこの歌が日本の未来になるかもしれないね、と娘はつぶやいた。私の頭には、支え合い、頼り合う人びとの姿が浮かんだ。心が温かくなった。
否定的な現状。悲観する私。いまを生き、肯定的未来を思う娘。どちらが正しいのかは誰にもわからない。でも、そんな<やさしい社会>を想像するのも悪くない。今日は、家族と語り合ってみよう。Snow Manを聴きながら。
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