「創造の仕事」がしたいキリギリス型にとっては、報告と連絡だけの非創造的な会議は無駄以外の何ものでもありません。とりわけ多人数の会議はそれが顕著です。そもそも5人以上集まった会議で創造的な議論などできるわけがないと、キリギリス型は考えています。それ以上の人数の会議は「単なる時間の無駄」であり、会議の人数とアウトプットの品質は反比例するというのが、キリギリス型の考えです。
会議のいっぱい詰まったスケジュール表を見て、アリ型は「自分はこんなに忙しく仕事をしている」と思いますが、キリギリス型の視点では「ほとんど仕事になっていないな」と思うはずです。要するにアリ型にとっては「会議が仕事」で、キリギリス型にとっては「会議以外の時間が仕事」なのです。このような価値観が混在するのですから、さまざまな不条理が起こって当然、ということになるでしょう。
アリ型にとってキリギリス型は「疎ましい存在」
ではなぜこのような価値観の対立が起きるのでしょうか? そこには「キリギリス型」と「アリ型」の仕事の特性の違いが大きな要因としてあります。
仕事は通常、上流から下流へと流れていきます。上流と下流とは、たとえば会社単位で言うとスタートアップから伝統的な大企業へという流れ、イノベーションからオペレーションへという流れ、あるいは企画構想から実行へという流れです。一般的な川の流れと同様に、上流の仕事は量が少なく、スピードが速いものですが、下流にいけばいくほど流量も多くなり、緩やかで、川底の石も丸く同質になっていきます。
キリギリス型にとっては上流側の仕事が得意領域で、アリ型にとっては下流側が得意領域ということになります。この人材の流れも、まさに川の流れと同様で、組織というものは大きくなるにつれて、一方通行でアリ型の割合が増えていくのです。
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