なぜ?私は「コレ」で心理的安全性をやめました 「安心」ではなく「安全」であることの意味を問う
安心かどうかは、言い換えれば「しっくりくるかどうか」「違和感を覚えるかどうか」である。新刊『若者に辞められると困るので、強く言えません』にも書いた。なぜ若者は「ゆるブラ」企業を敬遠するのか。ゆるすぎるブラック企業だと、しっくりこないのだ。
「無理しなくてもいいからね」
「自分のできる範囲でがんばって」
と入社当時から言われたら、安心できる若者も多いだろう。
「優しい会社だ」
「プレッシャーがかからない環境だと働きやすい」
と歓迎する。いっぽうで、「どうも、しっくりこない」という若者もいるのだ。
「この会社にいて成長できるのか?」
「若者に媚びてるのか?」
と受け止める。
「わたしたちの時代はもう終身雇用なんてないのだから、若いうちに力をつけないと」
そう考えたら、「ゆるブラ」企業で働くことに安心できないのだ。
心理的安全性が高いチームのマネジャーに「安心感」などない
安心かどうかは主観的だ。組織マネジャーの立場で考えてみよう。たとえば自分の指示に異を唱えるメンバーが多いと、安心できないマネジャーは多いことだろう。
「それは違うと思います」
「もっとこうしたらどうでしょう?」
と、メンバーから反論されたり問題提起をされたら、しっくりこない。だから多くのマネジャーは、自分の言う通りに動くメンバーばかりいたら安心する。
しかし、メンバーにとっては安心だろうか。頼りになるマネジャーだ、と安心する人もいれば、自分の意見を言えないから不安を覚える人もいるだろう。
繰り返すが、「心理的安全性」という表現には「安心」ではなく「安全」が使われている。マネジャーだけではなく、メンバー全員が「安心」して自分の意見を表現できる環境でなければならない。そう考えると、マネジャーと意見を言う部下たち全員が「安心」と感じる状況は、チームの同質性が高い可能性が高い。
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