なぜ?私は「コレ」で心理的安全性をやめました 「安心」ではなく「安全」であることの意味を問う
言葉の意味を調べてみると、納得がいく。安心かどうかは、個人の主観で決められるが、安全かどうかは専門家の証明が必要だ。つまり、
・安心は主観的
・安全は客観的
と覚えたらいい。労働安全や情報セキュリティに関わる人は、基本的に資格取得が必要だ。専門的な知識と技術があって、はじめて安全かどうかの判断ができる。
しかし、安心に関わる資格など存在しない。安心か不安かは、あくまでも、その人の主観的な感覚によって左右されるからだ。
「安全だから安心だ」
という表現はあっても、
「安心だから安全だ」
という表現は間違っている。つまり、「心理的安全性」かどうかは主観で決めてはいけない、ということだ。
安心かどうかは個人差が大きい
主観的な判断は、人によって変わるし、状況によっても変わる。たとえばこれを読んでいるあなたは同窓会が好きだろうか? 中学校の同窓会、高校の同窓会……。そのような同窓会に参加し、昔のクラスメートと久しぶりに再会したとしよう。
その際、
「全然、変わってないじゃん! 10年前と何も変わらない」
「うわァ、安心した~! 昔のままだ」
といったことをつい言ってしまう人はたくさんいると思う。私もどちらかというと、そのタイプだ。10年ぶりでも、20年ぶりでも、自分がよく知っている姿、態度、話し方に触れると安心するものだ。
いっぽう、不安になる人もいる。
「10年間で、いろんな経験をしたはずなのに、昔のまんまだなんて」
そう言った彼は、学生時代とは激変していた。内気で、友だちが少なかったはずだが、今ではモトクロスバイク専門店のオーナー社長をしていた。日焼けした肌に、金色の髪。自身に満ちあふれた目つきに、昔の面影はなかった。
そんな彼にとって、安心できる場ではなかったのだろう。1次会が終わる前に「用事があるんで」と言って、途中退席した。
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