恩田陸作品史上「もっとも美しくヤバい天才」爆誕 萌え保証!一人の天才少年をめぐる「春」の物語
「私は同時に4、5本の連載を同時進行して、それを少し書いたら次はこっち、と細切れに書いてるほうが自分には合ってると思います。むしろ1本を最初から最後まで続けて書くほうがつらい。ですから、途中でこっちの連載の話は何だったっけ、この登場人物も誰だっけ、みたいにすぐ忘れるんで、毎回読み返さないと。でも読めば、止めたはずのあの話がもう一度頭の中で始まるんですね」
子どもの頃、夏休みの宿題は最後の数日間に泣きながらするタイプだったという。「大人は、泣くくらいならもっと前からちゃんとやっておけばよかったのに、なんて言うんですけれど、それができたら苦労はしない。今も締め切りがあるから必死こいて書くんです(笑)。私はもうほとんどずっと考えて考えて、でも今日もできなかった……っていう感じで、やっぱり考えてる時間がすごく長いのを、締め切りが近くなって一気に書く感じです」。
恩田のように多作のベストセラー作家すら、「締め切りがあるから必死」「今日もできなかった」という感情を抱えて書いているのだ! 「でも、考えてる時間が長いと普段フラフラ遊んでるって思われがちで、しかも夜になったらお酒飲んじゃうんで、なんか楽な商売だな、みたいに(笑)。とはいえずっと頭の片隅で考えてるから、あんまり解放された気がしないというか」。
限界を超えて書き続けた過去
1992年の『六番目の小夜子』によるデビューから30年以上、作家専業となってからは四半世紀が経つが、作家として書き続けるうえで「ある程度高いハードルを設定しないと、縮小再生産になる」と自分に命じてきた。それゆえに多彩なテーマに果敢にチャレンジしてきたし、作品数も多い。何かに成功してしまうと同じことを焼き直したほうがきっと楽だが「それはやってはダメ。同じことやってても目減りするだけなんで」と、ちゃめっ気たっぷりに言う。
会社員を辞めて専業作家になったときも、レストランに各出版社の担当編集者を一斉に呼んで、10本それぞれまったく違うタイプの作品プロットをプレゼンし、各社の連載を獲得したという営業エピソードは有名だ。
「フリーになるのがすごく怖かったんで、書く場所は確保したかったんです。今の時代の小説家は、デビューするときに『会社辞めないでくださいね』と言われるでしょう(笑)。10年間近く兼業で作家を続けて、しまいにはもう会社を辞めて小説に専念したらどうですか、って複数の担当者から言われるようになって。この作者は小説一本でコンスタントにやっていけるだろうと思ってもらえたのかな」
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