怖かった街「立川」を変貌させた"大家"企業の正体 商業施設が続々開業、住みたい街にランクイン

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将棋の王将戦が象徴するように、以前に比べて立川が注目される機会も増えた。

「当社の前身は立川飛行機です。今から100年前の1924年に航空機メーカーとして誕生し、戦前は陸軍向けに主に練習機を設計・製造・販売していました。現在は不動産賃貸・開発が主力業務で、立飛グループが所有する土地は約98万平方メートルあります。これは立川市の全面積の約4%(25分の1)に相当します」

村山社長は自社グループの横顔をこう説明する。これほど土地を所有するのは理由があり、航空機の設計や飛行には広大な敷地が必要だった。現在の主力業務は、敗戦で米軍に接収されていた自社所有地が戦後に返還されていき、その後に業態転換したためだ。

立飛ホールディングス 村山正道
立飛ホールディングスの村山正道社長(撮影:大澤誠)

街の活性化に乗り出す

かつて立飛は「よく看板を見かけるけど何をやっているかわからない会社」といわれた。

「今でも敷地内に約160の建物を所有しています。長年の所有で減価償却も終えて利益率の高い企業でしたが、閉鎖的な一面もありました。敷地はコンクリートの塀で覆われ、地域との交流にも熱心ではない。地元の花火大会に少額の寄付をする程度でした」(村山社長)

そんな会社が“企業の塀”を取っ払い、地域活性化に乗り出すと商業施設も相次いで開業した。2015年、所有地に「ららぽーと立川立飛」(運営は三井不動産商業マネジメント)がオープンするとにぎわいも増し、有名ブランドが出店する流れができた。

筆者は2014年、開業直後のイケア立川を視察して記事にした。取材当時はそこまで未来予想図をイメージできなかったが、この10年で「点」が「線」や「面」として広がった。

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