仮設住宅でのコミュニティ形成に注力、被災者住宅政策で国は発想の転換を--立谷秀清・相馬市長に聞く震災復興の課題

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--具体的にはどのような問題に取り組みましたか。

生存者救出活動が一段落した後、具体的に取り組んだのは、(1)医療スタッフの確保、(2)医薬品の確保、(3)被災した方の適切な栄養の摂取、(4)集団生活の中での精神的な安定、の4点だった。
 
 これらはどの地域の避難所でも共通の課題だが、相馬市は原発事故による騒動に巻き込まれた。医療スタッフが避難し、医薬品が市内に入ってこないという問題が生じた。それでも相馬市が地域の崩壊を招かずに踏みとどまることができたのは、医療スタッフの説得ができたため。
 
 万が一、避難が不可避となった場合でも、高齢者や障害者などの災害弱者が最優先されるべきで、災害弱者を差しおいての避難はありえない。国から避難命令が下らないうちは、復興に向けて地道に取り組むことが何よりも大切だと考えた。

医療スタッフの中にも避難した人はいるが、たいていの職員はとどまり、被災者への医療支援活動に参加してくれた。加えて、私がいろんな方面に助けを求めた。
 
 最初はDMAT(災害派遣医療チーム)の派遣要請。これは仙谷由人官房副長官に直接お願いした。続いて日本医師会。少し遅れて東京医科大学や全日本病院協会にも医療支援を要請した。
 
 避難所での健康管理を担ったのは、主に全国から駆けつけた支援スタッフ。相馬市医師会の会員の先生方も、震災直後は避難所での健康管理にかかわってくれた。公立相馬総合病院および相馬中央病院は、震災後も外来診療や入院患者受け入れを継続した。

南相馬市からも患者さんがたくさん来た。この方々の健康管理は東京医大や途中から吸収した東京都チーム、および全日本病院協会のチームが担当。市内の避難所はJMAT(日本医師会の災害医療チーム)および市内開業医の先生方のボランティア活動によってカバーした。

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