「文学は役立つのか」論争、SNSで何度も再燃する訳 前提が「定義」されていない議論は結局すれ違う
まず、私はSNSなどで誰かが発信している文章などはほとんど読む価値がないと思っています。なぜならその前提が何か、どんな文脈でその主張をしているのか、その背景は何か、といったことが一切わからないからです。
どういうことかご理解いただくため、「高校生は三角関数よりも金融経済を学ぶべき」という発信について詳しく見ていきましょう。
「前提」がわからない議論はすれ違う
なぜこのような発言に対してネガティブな反応が寄せられたかというと、三角関数をちゃんと学ぶことにたくさんの時間と努力を費やしてきた人が、確かに存在するからです。
「三角関数なんて勉強して意味あるの?」といった言説は、彼らのこれまでの人生を否定することになってしまいます。「お前たちがやってきたことは意味がないんだ」と言われていることと同義であり、これまで大事にしてきたものや信じてきたものを軽視されたことに対して怒っているのです。もちろんその気持ちは理解できます。
しかし、おそらくこの議員は、「特定の職業ではなくすべての高校生がいろんな職業に就く可能性を高めるためには」という文脈、あるいは前提で件の発信をしたのではと私は推察します。
SNSで批判を続けた人たちに残念ながら少しだけ足りなかったのは、その発言の前提を理解してから「高校生は三角関数よりも金融経済を学ぶべき」という発言に意味づけすることでした。
「エンジニアリングとしての数学」「経済を理解するための数学」「人材育成としての数学」など、数学にはいろんな側面があります。数学をどのような定義のもと、どの角度から語るかによって表現したことへの意味づけも変わってきます。
例えば「エンジニアリングとしての数学」という前提であれば、三角関数が不要などとは誰も思わないでしょう。もちろんあの議員もそんな発信はしないはずです。
しかし「人材育成としての数学」という前提であれば、三角関数を理解することより大事なものは確かにあります(ちなみに私はまさにそこで教育者をしています)。
「人材育成としての数学」という前提で語っている人の言葉を、「エンジニアリングとしての数学」という立場しか考えられない人が受け取ったら、それは共通認識が取れません。
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