まだ幼い自分の子どもの才能が、自発的に開花されることを両親が報告するケースがわずかばかりあるものの、その真偽は疑わしい。非常に早い時期からしゃべり、文字を読みはじめたと報告されている子どもたちのケースを研究者は検証したが、子どもの発達や刺激に親が深くかかわっていたことが明らかになっている。親と小さな子どもの異常なまでの親しい関係を考えると何がきっかけとなったのか特定することは難しい。
たとえば赤ん坊のケヴィンが紙の上に絵の具でグジャグジャに絵を描いたとき両親には子うさぎのように見え、自分の子どもには芸術の才能があると思い込み、あらゆる方法でこの才能を開花させようとしたりする。こうしたことはよく目にする光景だ。事実、研究によればこうした親子間の交流は子どもの能力の格差につながっている。
特定の遺伝子は見つかっていない
ゲノム研究の時代において、何が生まれつきで何が生まれつきでないのかという質問はもはや意味がないと思うかもしれない。なぜなら才能はその定義から生まれつきであり、その才能を説明する遺伝子はあるはずだ。問題は科学者が2万強ある遺伝子がどのように関係しているのか、いまだに解明できていない点にある。
現時点でいえることは、特定の才能に対応する特定の遺伝子が見つかっていないという点だ。それらが見つかる可能性はあるが、現時点ではピアノを上手に弾く遺伝子や投資をうまく行う遺伝子、会計業務を得意とする遺伝子はまだ見つかっていない。
しかし、これまでみてきた証拠が示しているように、才能に対応する遺伝子を見つけるのはまだ先の話だ。あらゆる分野におけるトップパフォーマーの過去百年の能力開発速度があまりにも速いため、変化するのに何千年も要する遺伝子との関連づけをするには無理がある。
このことから偉業達成の理由は、遺伝子であると説明するのは不可能だ。もし仮にいえたとしても高い業績の説明に占める遺伝子の役割はとても小さいように思える。才能懐疑論者はすでに集めた証拠をもってしても、才能が神話にすぎないと証明されているわけではないと注意深い物言いをしている。研究がさらに続けば、いずれ特定の遺伝子が特定の偉業と対応していることを突き止める可能性があることも認めている。
しかし、過去数十年間に行われた何百もの研究がこのことの証明に失敗している。それどころか、この特定のタイプの遺伝子の違い、すなわちもっとも高い能力を決定する遺伝子の違いは存在しないことを圧倒的に大多数の証拠が示している。
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