「『よい子でなくてはいけません』と子どもたちに教えるために書かれた話にははっきり書かれたり、ほのめかされたりしている次のような仮説が私は我慢できない。それは赤ん坊はみな同じように生まれるが、少年になりやがて大人の男性になっていく。そのとき差をつくり出す唯一のものは、たゆまぬ努力と高い道徳心の維持だというものだ(当時は少女や女性も注目に値するという考えは、けっしてゴルトンの頭の中には思い浮かばなかった)」
そして、ゴルトンは自分の代表的著作である『Hereditary Genius(天才と遺伝)』でこう続けている。
「私は生来平等であるという主張に対しては全面的に反対している」
ゴルトンの主張はわかりやすい。身長やその他の体型的特徴が遺伝的に受け継がれやすいように、「卓越した能力」も同様に遺伝的に受け継がれているというのだ。ゴルトンは「著名な人はたいてい有名な一族の一員である場合が多い」ことを示すことで、自分の理論を証明したと語っている。
「天賦の才」の考えが間違っていたとしたら?
さらにロンドン・タイムズ紙の死亡欄を細かく調査し、まとめ上げ、とりわけ判事、詩人、軍の司令官、音楽家、画家、聖職者そして北部のレスラーにこの傾向があることを証明した。それは「特定な分野での卓越性は特定の一族に現れている。卓越性を発揮する能力は遺伝によって伝えられ、子どもが生まれると同時に卓越性も現れる」というものだ。
「北部のレスラーの卓越性の研究といわれてもなあ」と反応したくなるかもしれないが、ゴルトンのことをあまりバカにしないほうがいい。ダーウィンの考え方を体型以外の人間の特徴に適用したゴルトンは、科学を前進させた。ゴルトンは今日のあらゆる科学の分野で不可欠となっている統計上の相関関係や回帰分析の技術を発展させたのだ。
また、ゴルトンは卓越していることはどこから来るのかという、深い問いかけを自分がしていることをよく認識しており、「生まれつきか修養か(nature versus nurture)」のような言葉も生み出している。そして自らが「天賦の才(natural gifts)」と名づけた科学の分野を確立し、今日においてもその分野は続いている。その業績は現代の学術雑誌である『天才の教育ジャーナル(The Journal for the Education of the Gifted)』や『天才の概念(Conceptions of Giftedness)』という書籍へと引き継がれている。
こうした背景があるため、「天賦の才」(我々の「才能」と同じ定義)という考え方には、多くの支持者があった。しかし、もしこの考え方が間違っていたとしたらどうだろうか。
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