ニューヨークタイムズ紙の著名なコラムニストであるラッセル・ベイカーは、「言葉を操る遺伝子」をもって生まれたと信じられていた。生まれつきの書き手であると思われていたのだ。ビジネスにおいて我々はよく「ボブは生まれついてのセールスパーソンだ」とか、「ジーンは生まれついてのリーダーだ」とか、「パットはトップになるために生まれてきた人間だ」という話をする。
ウォーレン・バフェットは次のように語っている。「私には生まれつき資本を配分する役割が遺伝子に組み込まれている」。それは、バフェット流の表現であり、バフェットは自分が儲もうかる投資を見つけ出す能力をもって生まれてきたと言っているわけである。
「才能は存在する」と誰もが信じているが、才能について誰もが本当に考え抜いているわけではない。実際ほとんどの人は、才能自体について考えたことはないのだ。才能が存在するという考え方は、実は一部の人の考えにすぎない。だから「なぜか」と問うことには価値がある。
天才の遺伝子は存在する?
ほとんどその答えとなるものが我々の予想もつかない場所に存在している。それは19〜20世紀イギリスの貴族出身で探検家でもあるフランシス・ゴルトンの文書の中にある。ゴルトンは若いころは人は誰も同じような能力をもって生まれていると信じていた。そして、こういった能力も生きているうち、しだいに異なるレベルで発達していくと考えていた。
神話学や宗教では、才能は神から与えられたものであるという考え方があったが、すでにゴルトンの時代では人はみな等しい能力をもつという考え方が普及していた。この考え方は、アメリカの独立やフランス革命に影響を与えた18世紀の平等主義に起源をもつものだ。そして、のちにヘンリー・ソローやラルフ・エマーソンなどが、当時一般的に思われてきた以上の潜在力を人間はもっているということを世の中で唱え出した。
こうした証左を19世紀の経済の発展の時代に多くみることができる。貿易や産業がヨーロッパからアメリカ、さらにはアジアへと拡大し、当時の人々はあらゆる場所で富と好機を見いだすことができた。誰もがなりたい自分になれると思った。
ゴルトンは従兄弟であるチャールズ・ダーウィンの書籍を読むまでは、こういった考え方を受け入れていた。しかしゴルトンは突如としてその意見を翻し、転向した者の情熱で新しい理論の普及を始めた。たしかに彼の影響はとても強く、今日でもこの問題について彼の見解は幅広く信じられている。これはおそらく、ゴルトンの強固な自信から来ているのだろう。
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