「出世渇望する男性描く」清少納言の共感呼ぶ文才 「春はあけぼの」だけではない日常描いた文章
それでは、作品の全体像はわかりませんし、「あの頃、枕草子の一文を覚えさせられたな」くらいしか記憶に残らないでしょう。先人が記した貴重な作品を味わうことなく、人生をすごしてしまうのは、もったいないことです。
『枕草子』には、一体、何が書かれているのかを探っていきたいと思います。
同書の冒頭は先ほど記したように、「春は曙。ようやく辺りも白んでゆくうち、山の上の空がほんのり明るくなって、紫がかった雲の細くたなびいた風情」とあります。
続いて「夏は夜。月のある頃はもちろん、月のない闇夜でも、やはり、蛍が沢山、乱れ飛んでいる風情。また、ほんの1つか2つ、ほのかに光って飛んでゆくのも、趣がある。雨が降るのも、趣がある」。
そして「秋は夕暮、雁などが列を作り、小さく小さく空の遥かを渡っていくのは、とても趣がある」。
最後に、「冬は早朝、霜が真っ白におりているのも、またそうでなくても、とても寒い朝、火を早急に起こし、炭を御殿から御殿に運んでいくのも、冬の朝の光景として、相応しい」。
1年のすべてに「趣がある」と書いた清少納言
ここまでは学校で習った人も多いでしょう。清少納言は、その月々、1年のすべてに「趣がある」と書くのです。
春夏秋冬の趣を記した後は、清少納言自身が「面白い」と感じたことを書き連ねていきます。
例えば、元旦は空の様子もうららかで、改まった感じになっているのに、世間の人は皆、衣装や化粧を丁寧にして、主君や自身のことを「末長く」と祝っているのは、普段と様子が違い「面白い」と清少納言は述べます。
また、1月7日に若菜を摘んできて、普段は近くで見もしないのに、この日ばかりは、御殿の中で大騒ぎをして、手に持っているのは「大変、面白い」と述べています。
今を生きるわれわれも、1月7日になれば(普段はそんなこと思いもしないのに)「七草粥、食べようかな」と思い始めるのと一緒ですね。人間の「可笑しな」心理というものは、今も昔も変わらないのかもしれません。
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