「出世渇望する男性描く」清少納言の共感呼ぶ文才 「春はあけぼの」だけではない日常描いた文章

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清少納言はこのように季節の行事や風習の一コマも記していきます。

春に地方官を任命する儀式「春の除目」の頃の人々の様子も、清少納言は書きとどめています。

自分を売り込む男性の姿も描く

清少納言には、四位や五位のまだ年若い人たちは、意気揚々として、頼もしく見えました。一方、年を重ねて白髪になった男性は、女房に取り次ぎを頼んだり、女房がいる「局」に立ち寄り「私は、とても才能ある人物である」などと、独りよがりの態度で、話して聞かせています。

なぜ、この男性がそんなことをするかというと、女房たちに自分のことを売り込むことで、宮中で知らせてもらい、少しでもいい役職に就きたいと願っているからです。

現代でも、これと似たような話はありますよね。人間心理として、それもわからなくはありませんが、見苦しいと言えば、見苦しいでしょう。清少納言は、そういった人は、女房たちから、陰で馬鹿にされ、口まねをされて、笑われていたと書いています。

当然、本人はそんなことは知りません。必死になって「どうか、よしなに主上(天皇)に申し上げてください。中宮様にも」と頭を下げて頼み込むのですが、そうやって頼み込んだとしても、念願かなう人もいれば、かなわない人もいる。玉砕した人は「本当に気毒千万だ」と清少納言は同情しています。 

『枕草子』のなかの季節の描写は美しく、平安時代の風景が頭に思い浮かぶかのようですが、私が同書の中で興味深く思うのは、さまざまな出来事に対して、清少納言がどう思ったかという感想が書かれているところです。

そのほかに、このようなシーンもあります。清少納言は「可愛く思う子供を坊さんにしたのは、大変、気の毒なことだ」と語ります。

なぜでしょうか。「世間の人が、坊さんを木の切れ端か何かのように、つまらぬ者と思っている」からだと言います。

精進物はとても質素であり、居眠りするのさえ、側からやかましく言われる。若いうちは、好奇心もあるだろうに、女性がいるところに行くこともできないなんて「不自然だ」とも清少納言は言うのです。

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