萎縮させられる「日本のエンタメ」が復活するカギ ドラマ「不適切にもほどがある」で痛感する現在地
全体として見ると、制約は必ずしも強まっているとは言えないように見える。メディアが多様化する中で、地上波テレビ放送が割を食らっているように見える。
エンターテインメント、特にお笑いは、長い歴史の中においては権力に抗ってきた歴史もある。
江戸時代の娯楽小説である戯作はたびたび幕府の取り締まりを受けた。喜劇王チャップリンは、当時台頭していたナチスドイツに対抗するために「独裁者」を撮り、その後、赤狩りによって実質的な追放を受けたアメリカ合衆国を風刺する「ニューヨークの王様」を撮っている。
現代において、エンターテインメントに圧力を与えているのは、国家権力のみでなく、世の中の風潮や空気感であったり、視聴者の声であったり、週刊誌やネットメディアであったりする。
これらを揶揄したり、笑い飛ばしたりすることが、エンターテインメントの今後の使命でもあり、存在意義でもあるのではないか。
テレビ業界からの異議申し立て?
そんなことを考えていた矢先に始まったのが、冒頭で紹介した「不適切にもほどがある!」だ。テレビ業界からいち早くこうした対抗策(?)が打たれたことに、大袈裟ではなく、大きな感動を覚えている。
松本人志の性加害疑惑に揺れる中、大半のお笑い芸人たちは、擁護も批判もできず曖昧な物言いをし、話題の核心に触れることができない状況だ。事態が落ち着いたら、芸人間の慣習や圧力なり、週刊誌をはじめとするメディアなり、世の中の風潮なりを、笑いにして昇華してもらいたいと思う。
いつの時代においても、その時代ならではのエンターテインメントの形があるはずだ。
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