萎縮させられる「日本のエンタメ」が復活するカギ ドラマ「不適切にもほどがある」で痛感する現在地
昨年から今年にかけて顕在化した一連の不祥事は、一芸能人やプロデューサーといった個人が起こした問題ではなく、芸能事務所のマネジメント、さらには芸能界全体の構造的な問題として捉えられている。
ジャニー喜多川の性加害では、所属タレントはCMとテレビ番組出演の大半を失ったのみならず、グループ名や舞台演出まで変更されるに至っている。宝塚歌劇団は、団員の自殺があった宙組の公演だけでなく、110周年記念行事も中止。松本人志の性加害疑惑においては、松本人志は活動休止を宣言、出演番組、冠番組がテレビから姿を消してしまっている。関与していたとされる後輩芸人も活動の場を失っている。
エンタメの衰退をもたらす2つの懸念点
芸能界が不祥事に対して厳しい対応を取り始めたことに対して、週刊誌の報道の行きすぎや、報道を一方的に信じて判断が下されてしまうこと、疑惑の段階でタレントの出演機会を奪ってしまうことに対する懸念の声も上がりはじめている。
さらには、コンプライアンスの強化がエンターテインメントを衰退させてしまうことを危惧する意見も目立ちはじめている。主な論点として、下記が挙げられる。
1. 人材の問題:クリエイティビティのある人材が獲得できなくなる恐れ
2. 規制や社会的風潮の問題:制約が強くなりすぎて自由な表現ができなくなる問題
それぞれについて見ていきたい。
最近、週刊誌の報道やSNSによる相次ぐ告発によって、芸能関係者の不祥事が相次いで表沙汰になり、多くの芸能人が表舞台から姿を消している。こうした動きは、これまでタブー視されてきたジャニー喜多川の性加害問題が表沙汰になった昨年から加速している。
芸能界のスキャンダルはもちろん前からあったが、
ということが起きている。
その反動として、行き過ぎた週刊誌報道やキャンセルカルチャーの流布を懸念する声も出はじめている。干された芸能人を擁護する意見として、下記のようなものがよく見られる。
実際は、クリエイティブな人間が必ずしも常識外れだとは限らない。また、常識に囚われないことと、反社会的行為を行うことは別のことである。とはいえ、これまで許されていたことが許されなくなってきており、激しくバッシングを受ける時代になってきたのは紛れもない事実だ。
過去と今では倫理基準も異なっているし、誤報や偏向報道の可能性もある週刊誌ネタが、判断基準になってしまうことには問題もある。漠然と業界から干されてしまうことがないよう、一定のルールは作る必要があるだろうし、不祥事で干された人たちがいつか復帰できるような基準も作っておくことも重要だ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら