綿菓子製造機の移動販売がゲーム全盛期への道築いた--カプコン会長兼CEO 辻本憲三[上]

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 高校卒業後、伯父が経営する菓子卸業を譲り受けた。自営業を選んだ理由を、「夜間しか出てないからロクな会社に就職できないと思った。だから起業するしかなかった」とにべもないが、とにかくこれが辻本にとって初めての社長業となった。会社は「辻本商店」と名付けた。

開口一番、「アイデアマンだよね」と発するのは、辻本が尊敬するセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長。自ら用意したレジュメを手に、「これ(辻本の経歴)見ると、皆が思いつかないような新しいことを次から次へとやっている。しかも、借金をどんどん背負うんだけど、全然めげないんだよね」と付け加える。

借用書を書いてはブリキ箱に菓子を入れ、売り歩く。未払い金は雪だるま式に膨らみ、創業第1号の辻本商店は見事に失敗。仕入れ元に「出世払いにして」と頼み込み、会社を畳んだ。「奈良じゃ仕事にならん」と、大阪に出て、間口3間の菓子小売店を開業。ここで辻本は思い切った投資をした。その投資、綿菓子製造機こそが辻本の出発点となった。

1万5000円のこの機械、店先に置くと近所の子どもが20人も30人も列を成す。彼らは1本50円の綿菓子が欲しいのではない。綿菓子ができる工程を飽きずに眺めるのだ。すぐさま「俺、暇やからセールスやらせてくれ」と販売元に掛け合った。

綿菓子機を車に載せ、いざ西へ。完全歩合制で儲けは5割。よく売れた。鹿児島まで行ったところで、売り先がなくなった。さあ戻ろうというとき、パチンコ改造機を造っている人物から「帰るなら、これ売りながら帰って」と託された。それで今度はパチンコ改造機を載せ、Uターン。綿菓子機以上に“市場”は広く、1機種が1000台単位で売れた。エンターテインメント・ビジネスの可能性を辻本はこの時つかんだ。74年、遊戯機レンタル・販売のアイ・ピー・エムを起業する。

アイ・ピー・エムの成長と没落は、社会現象化したスペースインベーダー抜きには語れない。タイトー製品の販売を受託していた辻本は、直販営業所の10倍売った。喫茶店という喫茶店、そのテーブルというテーブルに納入し、儲けに儲けた。だが、ブームは襲来と同じ勢いで去り、残ったのは莫大な借金だった。
 
[下]に続く。 

つじもと・けんぞう
何度もどん底を見たはずだが、周囲は「苦労話を聞いたことがない」と口をそろえる。そもそも本人に“苦労人”の意識がない。「どんなに下向いたときも、『これは過渡期で次があるで』と思ってた」。現在70歳。人はそのうち100歳まで働くようになる、と予想する。ゲームもワインもゴルフも「やるならとことん」
 
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(前野裕香 撮影:ヒラオカスタジオ =週刊東洋経済2011年7月9日号)

※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
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