綿菓子製造機の移動販売がゲーム全盛期への道築いた--カプコン会長兼CEO 辻本憲三[上]


 だが、モンハンブレークの高揚冷めやらぬ3月31日、役員らは午前中の月例会議で、辻本からいつもの厳しい叱責を受けていた。

普段は無口で温厚な辻本だが、経営会議では態度が豹変する。会議で分厚い資料を棒読みしようものなら、「肝心な数字はどこに載ってんねん!」と怒号が飛ぶ。萎縮した相手にさらに追い打ち。「これを説明するのに、こんなぎょうさんの数字いらへんで。何が問題かということをちゃんとやれ」。自分に厳しく、他人にも厳しく。寝る間を惜しんで勝負する自分と同じ真剣さで、社内の経営陣と議論したいのである。

「20億円貸そう」から即刻返済せよへ急転直下

27年前、カプコンは名もなきベンチャー企業だった。当時、40歳だった辻本にとって、2度の失敗を経ての、まさに三度目の正直。だが、のっけから存亡の事態に陥る。

「即刻、1億5000万円の返済をお願いします」--。取引先からの突然の通知は、カプコン創業からわずか6カ月後のことだった。

その取引先とは、78年発売の『スペースインベーダー』で名を成したタイトー。創業者、ミハイル・コーガンは、辻本にとって忘れがたい人物だ。二人の出会いは、辻本がカプコンの前に作った会社「アイ・ピー・エム」時代。タイトーとの取引で一時繁盛したが後に失速。“無職”の身となった辻本を、83年春、コーガンは赤坂のフランス料理店に呼び出した。辻本を買っていたコーガンは切り出した。「タイトーに来て、営業を立て直してくれないか」。そのありがたい誘いを、だが、辻本は即座に断った。「ほかにやりたいことがあるんです。映画のようにワクワクするゲームを開発したい」。

まだファミコンがヒットする前の話。しかも辻本にゲーム開発の経験などない。半信半疑のままその強烈な熱意に打たれたコーガン、「金利ゼロで20億円貸す」と逆提案して辻本を驚かせた。最終的に金額は1億5000万円で落ち着いた。

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