おかずかおやつか「コロッケ論争」繰り返される訳 地味なコロッケに人々が熱狂するのはなぜか

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おかずで人気の揚げ物には、とんかつやエビフライもあるが、こちらは肉やエビが主役で、ごちそうになるのも当然だ。しかし、人が熱く思い出を語るのがポテトコロッケだとすれば、それはこの料理の微妙な立ち位置が原因ではないか。

ポイントは3つ。1つ目は手間がかかるのに、庶民的な点。ポテトコロッケは安くてカロリーが高く、手軽に空腹を満たせる。

庶民的な料理は、身近に感じやすい一方、「好き」と言うことに恥ずかしさを伴う場合がある。より高級なモノ、流行するモノを好きと言うほうが、かっこいいと感じる。好きだけどそれを告白するのは恥ずかしい、と感じる人がいる点が2つ目。

3つ目はカロリーの高さ。不健康なイメージもあるし、近年は炭水化物を敬遠する風潮も強い。しかしそれは、飢餓の時代を長く体験した人類が欲する食材でもある。炭水化物のジャガイモを食べることが、ある種の背徳感を伴うからこそ、おいしさは増す。

ポテトコロッケが流行したことも

クリームコロッケを多くの人が主菜と認識するのは、ホワイトソースにまとわせる具材として、高級素材イメージもあるエビやカニが選ばれることが多いことや、フランス料理のベシャメルソースが実はホワイトソースであることから来る、ソースへの高級イメージがあるからではないだろうか。

その一方で、ポテトコロッケは地味な存在だった。何かと脚光を浴びる外国由来の食といえば、ラーメン、とんかつ、餃子あたり。ラーメンは肉や魚介から取った出汁が大事で、とんかつは肉メインの料理、餃子もどちらかといえば肉が中心の料理。しかし、ポテトコロッケの主役は、タンパク質が微量なジャガイモだ。

とはいえ、ポテトコロッケも流行したことがある。それは1989年、神戸コロッケが誕生し、その後各地に拡大したときだった。商店街が大盛況だった昭和半ばも、実は流行したとみなしてよいかもしれない。大正-昭和初期の三大洋食も流行だ。近年は地味な存在として落ち着いていたが、ひそかに人々の心をとらえ続けたと言える。

だからこそ主菜と認識していた人は、「おやつ」と言われると「心外だ!」といきり立つのだろうし、おやつと認識していた人も、青春時代を思い出す。論争が起きてはじめて、その大切さを知る。まるで故郷のようだ。いや、もしかするとコロッケは、多くの人の心の故郷なのではないだろうか。

阿古 真理 作家・生活史研究家

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あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

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