イーロン・マスクが宇宙にこだわる本当の理由 タイパ・コスパの「対価」と国家という「重力」
栗原:三菱や住友だけでなく、松下も戦後に財閥指定されて財産も全部没収されて解体されているんですよね。
GHQは、財閥や日本の経済的な仕組みを分析してまた伸びてこないように相当な施策を打ってきた。それにもかかわらず、システムが解体されても不死鳥のように復活してきたわけですよね。株式の持ち合いをするなどして、解体されたシステムの中でいかに切り抜けるかという日本のローカライズ性みたいなものを担保するような動きをして。システムの中にいる生身の人間の負けた悔しさや不条理に抗う気持ちが復活を実現させてきたようにも感じます。
一方で、1990年代の日本の経済、地域の強さの解体っていうのは、本当の苦しさを味わって「あんな辛い思いしたくない」という戦前世代がいなくなって「システムの中で、まあ、やってけばいいじゃん」みたいな人が多数になって起きたように思います。「失われた20年」みたいにならざるを得なかったのかなと。
僕は松下やソニーの本などを読んで「なんでこの人たち、こんなにもアメリカで商売しようとするんだろう」と理解できないポイントとかありましたもん。僕自身、今運営しているComiruをアメリカで販売していこうとなかなか考えられないですし。悔しいとか本当に辛い思いをしたっていう部分のエネルギーが経済戦争を仕掛けるみたいなものに繋がるのかなと思います。ある種の負の体験をバネにしているから、どんな理不尽にも耐えられるっていうあり方だったんでしょうけど、それがないと頑張れないっていうんだったらちょっと……とも思います。
本当の意味での自由
坂本:理不尽に耐えるのと同じくらいの強い動機ってあるんだろうか。持たねばならないとは言わんが、いるんやろうな。どうなんだろう。
栗原:理不尽みたいなものの体験がベースとしてないと、本当の意味での自由を感じ取れないのではないかなとも思います。また、自由って寛容の精神なのではないかなとも思ってて。宗教的に違っても、思想的に違っても、受け入れましょうという。人間ってカウンターに対する自分のポジションみたいなことによって、はじめて自分の位置を確認できるみたいな部分ってあるじゃないですか。自分らしくっていうことが問われているけど、めちゃくちゃ難しいし。