イーロン・マスクが宇宙にこだわる本当の理由 タイパ・コスパの「対価」と国家という「重力」
栗原:問題意識を持ったときに、「プラグに繋がった世界」と「抜いた世界」とか、「敵」と「味方」とか分けてしまうと、結局相手側から見たら、自分と違う思想を押しつけてくる相手みたいになっちゃいますよね。そうではなくて、そのもう1個上の視点というか、どっちつかずみたいな感じでいないと、今度は逆にローカリズムに縛られてしまうようで難しいと思ったりもします。
グローバルとローカルの同居
坂本:言わんとしていることはわかるよ。それをちょっと知覚するのが入り口になるよな。それを超えると、全体像を踏まえた世界がなんとなくわかってくるゾーンがくる。敵を設定することで結束力を高めてきた日本があって、それを抑えるグローバリズムがあって、うまく搾取できる構造が作られていて……という舞台裏が見えてくるんだよね。
さらにそれをまた超えると、ある種の寛容さを持って「そういう事象も含めて俺らはどうやっていくんだ」「仮想敵を倒すのが一生かけてやることなのか?いや、そうじゃないだろ」という考えに至る。それを語っていかなきゃいけないことなんじゃないかと思う。
青木:そもそも自分の中にもローカル、グローバルって同居してますよね。どっちが敵というわけでもない。「アメリカが」と語ってみたところで、多国籍企業の話をしているのであれば、それはもうアメリカですらないわけです。英語使ってるから、なんとなくアメリカっぽく見えるんだけど。
坂本:確かに。いや、それは語弊があったな。第3の存在だな、そういう意味で言うと。
青木:そうなんですよね。だから多国籍企業はアメリカ国民をも食い物にしたりしてるわけなんです。敵国は倒すけど、自国民は守るんだみたいな国民国家の時代とは異なる。そうなったときに『新しい階級闘争』にも触れられていたように、どこでも生きられるエニウェアな人と、ここじゃないと生きられないサムウェアな人への二極化が進む。グローバル的に生きられる人と、ローカルでしか生きられない人とも言えますね。
坂本:それでいくとさ、俺らはそのバッファーゾーンにいるって感じだね。
青木:バッファーゾーンにいるし、二極化しない方が自由で楽しいんじゃない?と思っている感じですね。
坂本:だから(東吉野村の)こてこての村社会的なもんにうまく順応できていない。間のゾーンをフラフラしてて、それが許容される時代になってきたって感じかな。