「宝石のような歌声」野田愛実の知られざる半生 小学5年の頃から"オーディション"に挑戦し…

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本格的に曲を作り始めたのは中学1年の頃。ボーカルスクールで行われた作曲の授業で作り始めたのがきっかけだった。

初めて作ったのが、友人に関して描いた「ディアフレンズ」という曲。ピアノで作ったが、「やはりギターでも作りたい」と思い、すぐに行動に移す。

「この時期にあった歌のコンテストに優勝して、その優勝賞金が10万円だったんです。その賞金をもってすぐに楽器屋にいってタカミネのギターを購入しました。嬉しかったですね。そのギターは今でも使ってます!

当日から地元三重はもとより、愛知など大小様々なコンテストで入賞を果たしていた野田の実力もさることながら、なんとも音楽を愛し愛されていると思わされるエピソードだ。

地元、三重から名古屋にある音楽スクールに毎週通い歌を磨いた(撮影:今井康一)

「持ち時間10分」のシンガーソングライターデビュー

そして、シンガーソングライターとしてのステージデビューは中学2年生の頃。学園祭でもらった持ち時間はわずか10分。これがシンガーソングライター人生のスタートだった。

「学園祭の出し物で、先生に『一人でアコギで弾き語りやります』って申請したら、『大丈夫なの?』って反応でしたね。当時の申請プリントを見直したら、『持ち時間10分とありますが、みんなを飽きさせない構成でお願いします』って結構辛辣な感じで書いてあったんです(笑)」

後日、その先生からは「あの時はすみません」と一言あったという。

初めてのステージの反響は大きかった。学園祭とはいえ、体育館の大きなステージで堂々とカバーとオリジナル曲の2曲披露したわけである。

しかも、歌は様々なコンテストを制している美声だ。中2の少女が披露しているとは思えない圧倒的なステージ。後日、知らない先輩たちが教室に来てサインを求められるなど、ちょっとしたフィーバーが起こったという。

それから毎年のように学園祭では弾き語りを披露した。中高一貫校だったこともあり、その年代ではすでに野田の弾き語りは知られるところになり、学園祭の名物になっていた。

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