「宝石のような歌声」野田愛実の知られざる半生 小学5年の頃から"オーディション"に挑戦し…

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3歳の時に『夜桜お七』をステージで歌ったんですが、その時に周りの大人たちがすごく喜んでくれて。それが今でも記憶にありますね。幼いながら歓声が気持ちよかったんでしょうね」

3歳の頃、街で行われたテレビ番組「のど自慢」に出演した時の感想を、こう話してくれた。

野田の歌の原点は、実は演歌にある。

演歌を趣味で歌っていた祖父の影響を受け、幼い頃から一緒に演歌教室に付いていき、歌う。「のど自慢」のような大きなステージから街の小さな「カラオケ大会」まで様々なステージで歌ってきた。ピアノも習い始め、早くも野田にとって音楽は日常の一部となっていた。

ものごころがつくようになってからは、J-POPやアイドルソングを聴き、育ってきた。宇多田ヒカルに憧れ、「モーニング娘。のようなアイドルになりたい」と思ったこともあった。

小学校の頃はおとなしいタイプだったんですけど、舞台に立つこととか、人前に立つことが、すごい好きでした。もちろん歌ってましたし、クラスでは学級委員もやったり、トップに立ちたいと思ってました。目立ちたがり屋でしたね」

小学5年生の頃から、オーディションに挑戦

シンガーソングライターになろうと意識し始めたのは、この頃からだった。それが何かはまだわからなかったが、ただ「シンガーソングライター」という言葉の響きがカッコよく惹かれて、「歌のプロ」ということは知っており、自分も将来そうなるんだと思っていたという。

歌を磨くため、地元である三重から名古屋にあるボーカル教室へ毎週、一人通う日々を送る。

そして、小学5年生の頃からオーディションに挑戦し始める。オーディションが開催されているレコード会社にデモの音源を送り、2次審査に向かう。名古屋はもちろん、時に東京へも出向き、チャレンジしてきた。

「実は、avexのオーディションも受けてるんですよ! 落ちちゃいましたけど(笑)」

人懐っこい笑顔で当時のことを振り返っていたが、並々ならぬ思いだっただろう。

12歳の時にオーディションに挑戦したレコード会社で30歳の今、デビューしたわけだ。「積み重ねてきた努力」などと言葉にするのは簡単だが、その間の18年という歳月は、そう優しいものではない

けれども野田は、歌を裏切らなかった。

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